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風景印の楽しみ方
付録3:亡父「河合明男」

 昭和13年、大阪府岸和田市の旧家に生まれる。4男1女の四男だが、早くに次兄・三兄を亡くす。地元中学校を卒業後、縁故の酒蔵に数年間勤める。夜学に通うも中途断念して帰省、養鶏業・織布販売業を試みるも生業と成らず。
 縁故で兵庫県明石市へ出て、寝具問屋に勤める。結婚と同時に神戸市須磨の寝具屋にスカウトされ、現住所へ転住する。その後、寝具業は通販等の新勢力に押されて市場規模が縮小、独立の話も立ち消えになる。
 若い頃の趣味は歴史研究。その後切手収集を始め、古切手や古印の収集、次いで風景印の収集を始める。趣味が高じて同好会を興し、さらに全国組織切手趣味交換会を組織する。常時200人を越す会員を擁し、会報こうかんを隔月発行する。風景印部会、エコー葉書部会などを構成するも、すべて個人で会を運営してきた。
 会の運営は事実上の赤字。稀少切手や稀少消印などの売買、入札仲介などで小幅の利益を確保していた。近年は、東京在住のT氏、N氏らの協力を得て展示会などに作品を出品、入選作もあった。また、風景印研究に関しては国内第一人者であり、専門書の編纂、専門誌への解説記事投稿などに意欲的に取り組む。寝具業の不況が結果的に趣味の時間を充実させる皮肉をもたらした。
 家庭においては1男2女の父。家族5人を養いつつ、蓄財にも励む。長女は私立短大卒業後建設事務所勤務、長男は国立大学大学院卒業後公務員、次女は国立女子大へ進学、子供の教育にも熱心な父親であった。平成7年1月17日、阪神大震災に際し、家屋倒壊により死亡。同時に妻、長女、次女も失う。
 交換会の資料、商品は全て焼失。帳簿関係も残らなかったため、同年2月14日付けで会は解消した。最後の会誌第158号は同年1月15日付け発行で、皮肉にも震災当日に会員の下へ配送された。法名は静観院釈正明、浄土真宗本願寺派(西本願寺)門徒として、西大谷廟に埋葬されている。

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