ミュージカル作品紹介(第318回) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ジキル & ハイド | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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キ ャ ス ト | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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ス ト ー リ ー | ||||||||||||||||||||||||||||||||
医師ジキルは、セント・ジュード病院に精神病で入院している父を救うため、その最高理事会に彼の理論を紹介し、人体実験を提案した。それは人間の善と悪を分離するという新薬であったが、禍々しい提案に理事たちは反対した。婚約者エマの父ダンヴァースの口添えはあったが、恋敵ストライドの巧妙な誘導にも敗れた。ある夜ジキルは、親友アターソンに誘われて、娼婦館へ足を運んだ。そして、妖艶でも純情なルーシーから、ある啓示を受けたのだった。 ジキルは、自ら新薬を服用した実験を始めた。しかし、それは内面の悪の人格ハイドを目覚めさせることになる。ルーシーを痛めつけ、そして理事会の面々を殺害する、ハイド。街では凶悪犯として恐れられるが、外面も豹変するためか、正体がジキルだとバレない。しかし、繰り返し服用を続けてるうちに、ジキルの人格に自信が持てなくなる・・。 |
コ メ ン ト | ||
シナリオ | ◎ | 劇場や映画で数多くの作品が生まれてきたため、本作も大胆な切り口でジキル&ハイドを描いています。とくに二幕は秀逸ですが、一幕の拙さが足を引っ張る感じです。ジキルの演説シーンの空回り、ハイドによる理事暗殺の呑気さ、日本版独自の演出の可能性もありますが、勿体ないです。 |
キャスト | ◎ | 歌唱力のある二人のヒロインを据えてあるため、聞き応えがあります。男性キャストも歌える人が多く、歌唱面でインパクトがあります。その分だけ、ダンスのウェートは小さいですが。 |
ナンバー | ◎ | 「時が来た」が有名。「あんなひとが」「あれは夢」「その日に」「新たな生活」など、ヒロインのナンバーに良いものが多いです。しかし、一幕のロンドン・スタイル(会話を歌声で繋ぐナンバー)は、邦語が詰まりすぎで韻も踏まず、聞き苦しいナンバーがありました。 |
ステージ | ☆ ☆ |
ロンドン・シティの広場を切り取ったようなステージで、三方を高い壁で囲んで無数の窓やアーチが埋め込まれていました。四つの稼働セットが壁からセリ出てくる素早い転換や、正面奥から出てくる研究装置の重々しい転換が見物です。さらに、本物の炎や、空砲の連射など他のステージではお目に掛かれない演出も、多くあります。 衣裳は、エマのパーティードレスが印象に残りました。 |
演 技 力 | ◎ | 鹿賀は、緩急を付けた芝居を今年は目指すと語っています。二幕の早変わりや、ジキルの憔悴感に激しさがあるものの、一幕で軽いノリが目立ちました。アドリブ風の台詞で、外したシーンもありました。何しろ主役ですから、緩めすぎは気になります。 池田や浜畑は良い芝居をしていましたが、理事役たちの間の抜けた芝居が惜しまれます。マルシアは、クライマックスでの演技が映えました。知念の必死な様子は伝わりますが、歌唱を伴わないシーンでは、存在感を欠きました。 |
歌 唱 力 | ☆ | マルシアの伸びやかで重厚な歌唱、知念の透明で張りのある歌唱は、ソロでもデュオでも遺憾なく発揮されました。何度でも劇場に通いたくなるほどの素晴らしいものです。 鹿賀は「苦悩2」で熱演&熱唱を見せますが、「時が来た」を軽く唱いすぎたことが惜しまれます。 |
ダ ン ス | ○ | マルシアら娼婦のダンスは、官能的な雰囲気が出ず、物足りない出来でした。群衆のダンスも半端でした。鹿賀による要人暗殺シーンは、いずれも単調でした。ダンスを絡めても良いのではないでしょうか。 |
総合評価 | ◎ | セットの意外性、鹿賀の早変わり、迫力ある歌唱にインパクトがあります。また観に来たいと思わせる作品です。金が掛かっているセットのようですから、毎年再演を重ねて、チケット代を抑制する努力が欲しいです。 |
上記コメントはポン太の主観&独断に基づいています なお、評価ランクはポン太の五つ星を参照ください |
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ア ク セ ス | ||
東宝ミュージカル | ||