ミュージカル作品紹介(第316回) | ||||||||||||||||||||||||||||
モーツアルト! | ||||||||||||||||||||||||||||
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キ ャ ス ト | ||||||||||||||||||||||||||||
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ス ト ー リ ー | ||||||||||||||||||||||||||||
コロレド大司教のお抱え音楽家レオポルドは、娘ナンネールと息子ウォルフガングに英才教育を施し、神童の名を恣にさせた。畏れを知らないウォルフガングは、大司教の怒りに触れて追放同然となる。しかし音楽的才能は、密かに認められていた。留学先のパリでは放蕩三昧を尽くし、莫大な借金を負ったレオポルドに呼び戻される。金銭感覚が麻痺した遊び人の彼の心の中に、ひたすら音楽を追究し名曲を書き続ける少年アマデの姿があった。 ヴァルトシュテッテン男爵夫人に才能を認められたウォルフガングは、国都ウィーンへ進出して大成功を治める。皇帝の憶えも愛でたいが・・父の理解は得られない。悪友達と遊び回り、妻コンスタンツェとの距離も開くばかり。父の死後も破滅的な暴走を続ける中、謎の紳士がレクイエムの作曲を依頼してくる。心の中のアマデに救われながらも嫉妬するウォルフガングは・・。 |
コ メ ン ト | ||
シナリオ | ○ | 粗暴な放蕩息子の人格と、ひたむきな音楽探求者の人格を、別々のキャラクターに分けて表現された斬新な切り口です。しかし人格を分けてしまうと、どちらも魅力を欠くキャラクターなのが残念です。 また、構図に拘りすぎたシーンや、冗長なシーンが多く、上演時間が長すぎるのが難点です。 |
キャスト | ◎ | 「エリザベート」のオーディションで皇太子役に抜擢された井上ですが、マスクと舞台度胸がある他には魅力が不足しています。サブに名俳優を従えているだけに、主役の迫力負けが際立つキャスティングでした。 |
ナンバー | ○ | 66曲ものナンバーが使われますが、上演時間が長くなった一因でもあり、もっと取捨選択をして欲しいです。モーツァルトの名曲はアクセントにしか使われず、オリジナルばかりでした。映画「アマデウス」がモーツァルトの名曲を鏤めたのとは対称的です。井上の歌唱の問題かも知れませんが、印象に残らないナンバーばかりでした。 |
ステージ | ○ | 黒塗りの板張りステージで、簡素に過ぎます。衣裳はウィーン調宮廷衣裳が盛り沢山だったものの、ステージの粗末さが際立ちます。ピアノなど小道具の安っぽさも目立ちます。ウォルフガング役の衣裳にタンクトップやジーンズが使われますが、演出というよりも手抜きの印象が強いです。 |
演 技 力 | ○ | 井上の粗暴な立ち回りが稚拙でした。カネ離れがよく愛嬌のあるキャラクターが出し切れず、役柄に移入できていない感じがしました。松は一頃より芝居が巧くなりましたが、観客を惹き付ける魅力が不足するようです。TVでは結構良い表情を見掛けるのですが、舞台では硬さが気になります。 山口や市村、久世が良い芝居をしていても、若いキャストの力不足で霞んでしまうようでした。子役の内野の表情や仕草が巧く、しっかりしたアマデ役を演じており、よく自己主張していました。 |
歌 唱 力 | ○ | 久世の唱う「星から降る金」以外は、とくに印象に残りませんでした。山口や市村も良い声がありましたが、ナンバーのインパクトが弱く、心に響きません。 |
ダ ン ス | ○ | 目を惹くシーンはあったものの、ワンシーンばかりでした。衣裳の制約もあってか、ダンスは少な目でした。 |
総合評価 | ○ | 長すぎる芝居&ナンバー、観客を惹き付けられない主役、粗末なステージなど課題の多い作品だと思います。ウィーンとハンブルグでロングランしてきた作品であるそうですが、米英で揉まれてきていません。 サブには一級の俳優を揃えていますが、作品の出来映えに較べチケット代の割高さが目立ちます。主役ダブルキャストの中川晃教版は観ていませんが、主役が引っ張らないとツマラナイ作品になる典型的でしょう。 東京公演(日生劇場)に始まり、大阪公演(シアター・ドラマシティ)を経て、再び東京公演(帝国劇場)という変わったシステムを採用しています。帝国劇場では、まずまずの成果を収めているかも知れませんが。 |
上記コメントはポン太の主観&独断に基づいています なお、評価ランクはポン太の五つ星を参照ください |
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ア ク セ ス | ||
東宝ミュージカル | ||