第170回「移民は日本を救えるか?」において、「日本民族は単一民族」と書いていることについて、ご意見を頂戴しました。基本的にフリーメールや無記名でのご意見には返事をしないのですが、今回は特例的に回答したところ、予想通りのノーレスポンスです(旗色が悪くなったら逃げる・・困った方です)。ただ大事なテーマでありますので、一つ書いておくことにします。
上記したメールのご意見は、「日本民族は複数の民族から形成されており、単一民族だという考え方は危険だ」とされるものです。確かに、「単一民族プロパガンダ」なる思想が太平洋戦争時代にあって、これが日本の侵略戦争の口実に使われたのも事実です。しかし、日本民族が優秀な民族であるという思想が危険であったわけで、単一民族であるという思想が危険であったわけではありません。
民俗学者が何というかは不明ですが、まず「種族」と「部族」と「民族」の解釈から始めます。
第一に、「種族」です。これは「血族」と言い換えても良いと思いますが、一般に「人種的特徴を同じくし、言語・文化を共有する人間の集団」と国語辞典にあります。人種的特徴とありますから、血液型・肌の色・顔立ちなどの特徴で共通性を持ち、かつ周辺人種と共通性がないことを要件とするようです。古来は、生活圏が狭く、他人種と交わる余地の少なかったために、厳密な規程が可能であったかと思います。しかし、すでに歴史的に混血を多く重ねていますので、一定の共通点を有する亜種を含めることが現実的でしょう。また同時に「言語」や「文化」の共有も重要ですので、同じ種族の出身でも、歴史的に長く隔てられていた場合は、同族と言えなくなります。
第二に、「部族」です。これは「特定の地域内に居住し、共通の言語・文化などをもつ集団」と定義されます。人種的な特徴を問わず、共通の言語・文化を持ち、かつ「特定の地域内」にある小集団というのがミソです。日本史上では人の行き来が著しく制限されたいた時代がありました。例えば、江戸時代がそうですが、この場合は「藩」単位での部族が存在したと言って良いかと思います。これは「部族」間の言語(方言)や文化(地方色)の個性化を産みました。ただし日本では、古くから中央統制による文化の画一化が繰り返されました。渡来人にせよ、蝦夷民にせよ、その画一化の過程で「日本人化」が進んでおり、個々の小集団として溶け込んでいった歴史があります。
第三に、「民族」です。一般には、「帰属意識を共有する集団」とされ、「共通の出自・言語・宗教・生活様式・居住地などをもつ」ことが要件となります。部族の集まりが民族を形成するわけですが、同じエリアにおいて帰属意識を共有しない部族は異なる民族でありますので、同じ国家に属していたとしても、複数民族国家となります。例えば、旧チェコスロヴァキアや旧ユーゴスラヴィア、旧ソヴィエト連邦が、典型的な複数民族国家です。
さて、上記のメールでは、琉球人やアイヌは、いわゆる日本人と異なる民族であるから、日本民族は単一民族でないと主張されていました。また、「九州に住む人」と「関東に住む人」では言葉も生活習慣も大きく異なるとも主張されています。昔の成り立ちはともかく、現代ではどうでしょうか? 「琉球人」や「関東に住む人」という括りがそもそも現状に則していませんが、お互いに帰属意識を共有できないほど、対立する関係にあり、異民族と呼べるほど生活様式ほかが異なるでしょうか?
私は兵庫県に生まれ育ち、茨城県と東京都で生活しています。父方の祖父母は和歌山県と奈良県、母方の祖父母は岡山県と広島県の出身です。みな関西と定義すれば同じかも知れませんが、風土の生活様式も結構違います。しかし一方で、青森県や宮城県や鹿児島県や沖縄県の知人があります。彼らの生活様式も当然に違うものの、際立って違うというほどにありません。その生活様式の違いから、対立する関係は考えられません。言語は、方言を含んでも許容の範囲ですし、そのルーツは同じ。宗教は神道や仏教が多いですが、無宗教も少なからず居ます。同じく対立する関係は考えられません。
03.04.12
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