昨年から段階的に始めていますが、「経済の研究」のコラムで、小見出しを付けています。「■ ぷち・いんでっくす」とか書いてあるモノです。雑誌記事には一般的に使われていますので、真似をしてみたのですが・・あまり小見出しと意識されていないようでもあります。真剣に質問されると、恥ずかしくて、見出しだとは言えませんから(笑)。
小見出しのメリットは、文章にメリハリを付けることでしょう。その段落のキーワードが付けられていると、小見出しを追うだけで、全体の内容が予見できます。とくにストーリーが素直でない文章は、小見出しで区切ってあると読みやすいですね。喩えるなら、ウチのことです(爆)。
文章教室を開いておられる先輩方の意見を聞きますと、まず筋を組み立て、その順序を決め、起承転結などで大括りし、数段落ごとに小見出しを考え、これらを纏めて一本のストーリーに繋げる・・のだそうです。小見出しを決めてしまえば、もう文章は7割できていて、あとはストーリーに沿って文字を書き進めるだけだと言います。それほどに、小見出しは重要であるようです。
反省してみますと、それほど小見出しが大事だとは思ってこなかったので・・段落を代表するばかりか、キーワードにも成らないモノを使っているのが、よく分かります。とくに酷いのは、ミュージカルのコラムでありますが・・それなりに評価をしていただいていますので、同じ路線で進んでいこうと思います(開き直り!)。
話は変わりますが、文章の区切りは、書き手と読み手の息を合わせる効果があるそうです。典型的なのは、句読点ですね。ポン太の文章は「、」が多いと言われていますが、通常は「、」の少ない文章を書くのが、得意です。それよりも「。」がなかなか来ない文章を、好んで書きます。ところが読み返してみると・・自分でも読みにくいので、コラムでは極力「、」を入れて、「。」で区切るように心がけています。今のような句読点が、読み手にどう受けられているかは、よく分かりませんが。
コラムニストにとっての憧れは、天声人語であります。ほとんどの新聞には、記者コラムがあるものですが、レベルの高さでは別格です。息継ぎの苦しくなるような句読点は見掛けませんし、文章の長さも規格を守って綴られていますし、段区切りも絶妙です。尤も、それだからこそ、プロとして飯を食えるのでありまして、アマチュアは気に入った横紙破りな文章を綴ることも、許されるのでありますね。
近頃は、ヒットする文芸作品の文体も、マチマチです。昔のような美しい文章が少なくなる一方で、情感のよく伝わってくる荒削りな文体も増えているようです。親しみやすさは、美しさよりも重要な要素なのかなぁ、とも思う今日この頃です。オリジナル性も高いですしね。
ともかく小見出しは改善し、句読点など綴りは勉強を重ねつつ、オリジナル性を打ち出していくと、、、無難な結論に成りました。
00.12.03
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