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雑記帳No.134
え じ ぷ し ゃ ん

 直訳すれば「エジプト人」ですが、「ジプシー」の語源でもあります。中世ヨーロッパにおいて、近しい異国はエジプトやペルシャでありました。放浪の民、あるいは流浪の民と言われるジプシー達は、自らをエジプト人と称して歩くことで、異国の珍しい見せ物を出し、人々を楽しませ、そして生活の対価を得てきたとされます。
 現代でさえも、彼らの大部分は定住化せず、流浪を続けています。ヨーロッパ・アジア・北アフリカ・南北アメリカに広く分布し、総人口200万人とも言われています。その非定住性ゆえに、時の権力者からは阻害され、圧迫され、弾圧されました。ナチスドイツの例が一番に酷いとされますが、それでも中世以来、各国で虐げられてきました。

 ジプシーの発祥地は、今となっては分かりません。インド=ヨーロッパ語族の一派とされ、北インド説が有力ともされますが、混血もありはっきりしませんが、黒髪と黒目の白色系人種です。一応確かであるのは、ヨーロッパ大陸の域外から現れたということだけです。一方はバルカン半島に入り、他方は北アフリカを経てイベリア半島に入ったとされます。その後も各地を移動しつつ、ある者は定着もし、ある者は移動を続けました。
 有名なジプシー話に、ビゼーの「カルメン」がありますように、スペイン文化に大きな影響を与えています。ジプシー文化は、スペインやポルトガルの世界制覇に伴って、世界各地へ渡りつつ、メキシコやカリブ海諸国にもその影響を与えています。アルゼンチンやブラジルにも、です。どこの国にも属さないからこそ、どこへでも現れる、そういう自由な民族ゆえの特権でしょうか。

 ジプシー達の生活の糧は、芸を披露し、その代を稼ぐことにあるとされます。古くは、サーカス・人形劇などの見せ物小屋、ジプシー占い、カーニバル・ダンス、花売りなど屋台モノ等々、いつでも始められ好きなときに止められる商売が中心です。また馬の売買や鍛冶もしたそうです。その独特の思想、独特の世界観、独特の伝承や風俗、そうしたもので人々を魅了し、相応しい対価を受け取ってきました。ときには盗みに手を染めたり、スパイ業を兼ねたりもしたそうですが・・。
 彼らは、移動ジプシーの減少を恐れるそうです。誰しも定住して楽な生活が送れるならと思うのでしょうが、誇り高いジプシーの掟を守るため、定住ジプシーとは激しく争い、時には暗殺までしてのけたと言われています。古くは人さらいなどもあったと言われ、「ハーメルンの笛吹き」などの童話も知られています。サーカスに子供一人で出かけると戻らないとも言いましたよね。
 またジプシーの移動は、牧歌的な幌馬車に象徴されます。数家族から数十家族が一団となって、見せ物の大道具や小道具、衣裳などを満載して、街から街へ国から国へと行きました。しかし、何時何が起こるか分からないため、各国の通貨などは持たず、専ら宝飾品に変えて身につけてきたそうです。あくまで通貨に代えるモノなので、それは本物にこだわり、イミテーションなどを見分ける鋭い鑑定眼も持ったと言われています。

 現在でも、200万人はいるだろうと書きました。どこの国籍も持たず、流浪を続けている彼らですが、その生活圏はどんどん狭められているそうです。国際的なエンターテイメントが華々しく輸出される時代になり、多種多彩な娯楽が提供されるようにもなり、ジプシー達の芸が生活の糧を稼げないようにもなっていると聞きます。それでも移動を続け、何かを人類に伝えようとするのだろうかと、日々疑問に感じているのであります。

00.11.19
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