光が存在すれば、必ず、闇が在ります。私たち人間は、ずっと光だけを浴び続けることができません。光を避け肉体と精神を休めなくてはいけません。そのために闇の中で眠りにつき、翌日再び光を浴びることができます。
光を浴びれば必ず影が現れます。弱い光に対しては薄い影が、強い光に対しては濃い影が・・・。人生という舞台で輝くとき、その影は限りなく闇に近く、人工的に創り出された闇は深くじっとりと潜んでいます。人生に疲れたとき、闇のような影は心に巣くって・・・重い重い沈殿物を生み出すことがあります。一人家に戻り、ふっと力を抜いたとき、その沈殿物の重さに絶えきれず、すっかり鬱ぎ込むことがあります。
鬱ぎ込んだ翌日は、それに勝るとも劣らないパワーを発揮し、再び輝こうとします。輝けば輝くほど影は闇と同化し、再び重い沈殿物が生じます。こんな生活を繰り返すと、いつの間にか躁状態と鬱状態とを繰り返す二重生活が始まります。酒にタバコ、博打、セックス、薬物・・・躁状態から抜け出そうと足掻く打ち、自分でも手が付けられない深みにはまってしまいます。
有名人が自殺へ走るのは、そうしたプロセスを通ってきたのかも知れないと思います。取り憑かれた闇を振り払おうと、毎日精一杯頑張る。頑張って頑張って頑張って・・・それでも力が尽きて、どっと押し寄せる闇に、溜まりに溜まる沈殿物に、襲われるのかも知れません。若いウチはまだ無理が利きます。自分を誤魔化すことができますし、沈殿物を空元気と掛け合わせてパワーにすることさえもできます。もちろん体は蝕まれていくのだと思いますが・・・。
輝くことをやめ、ライトを浴びることを捨てるならば・・・あるいは元の自分が取り戻せるかも知れません。元の自分・・・人並みに暮らし、人並みの幸せを手に入れる。輝き注目されることはないけれど、闇を振り払う必要もない。そんな自分に自己嫌悪を持つことはあっても、救いはありそうです。自分の好きな途、夢を捨ててまで生きるのが幸せか? 自分の精神をすり減らし、魂を売り渡してでも夢を追うのが幸せか? すでに闇に取り憑かれているのかも知れませんね。
年に一人か二人か、スーパースターが出現します。そのパワーは弾けるほどに強力で、光り輝きながら、あらゆるものをまき散らし、何人もの人間を巻き込んでいきます。スターダムを目指して・・・人を魅了して止まないパワーを、留まることのないエネルギーの放出を・・・見せます。しかしスターはスターです。いつまでも光輝いていることはできません。自分の肉体も精神も犠牲にして、何もかも燃え尽くしてしまうのか。あるいは、それなりの地位を確保して元スターとして余生を送るのか。
私たちは自分が輝けない代償として、スーパースターの出現を求めています。そしてスーパースターに精一杯輝くことを要求します。その発するエネルギーの余波を浴びて、パワーの一部を吸収して、自己の満足に変えていると思います。いつかスターは消えるものだと知りながら。
光あるところに影がある。影があるから光もある。光がなければ全ては闇・・・。それは宿命なのでしょうか。今日もまたスーパースターの出現を望んでしまった。。。
99.04.28
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