前頁へ  ホームへ  次頁へ
雑記帳No.057
あいでんてぃてぃ

 アイデンティティ・クライシス・・・誰もが経験する自己認識の危機をこう呼んでいますね。少年少女の時代、利害関係のない大勢の友人、理解ある家族や先生に囲まれて育つと・・・大人になり、社会人の仲間入りをした途端に、自己を見失ってしまうのだそうです。「ここは何処? 私は誰? 今、何してるんだっけ?」って感じでしょうか・・・記憶喪失ぢゃないってば。
 恵まれた環境に育てば育つほど、自己の認識をしなくても誰かが支えてくれています。他人への依存が抜け切らなくて、少し甘えたさんだったり、寂しがりやさんだったりします。社会に飛び出すと過酷な状況が待っていますね。知らない大人達に取り囲まれ、しかも利害関係にからめ取られています。些細な失敗も厳しく叱責されますし、与えられる責任は重く、投げ出すことは許されません。学生時代の友人も、社会人となれば、そう依頼心を働かせることもできませんね。

 アイデンティティを小難しく言えば、自己存在理由。これを発見してクライシスから抜け出す方法は、いくつかあると思います。
 とにかく長い物に巻かれてしまうというのがあります。社会の歯車に徹してしまえば、アレコレ悩まなくて良いですものね。本当は歯車を止めるネジの一本にも過ぎないって言われることもあるけれど。
 面倒になったら現実逃避というのもありますね。趣味に打ち込むとか、アルコール漬けになるとか。仕事のことを忘れてしまえば、楽ですものね。趣味は填りすぎると、ますます社会に出たくなくなりますよね。。。アルコールも飲み過ぎると内臓を悪くしますし、太ってくるし、全体に体調が悪くなりますね。脳細胞も減ってくるし、毎日霞んだ世界に暮らすことにあるかも・・・。タバコはどうでしょうかねぇ。習慣性が付きますし、一種の薬物ですよね。
 さっさとパートナーを作って、相手に依存してしまうのも一つの方法ですね。何もかも理解してくれる相手なら、昔と同様に自己認識をしなくても生きていけます。ずっと支えてくれるでしょうから。でも、パートナーの負担は大変なものだと思うのですよ。いつか相手が根負けしたら、そこで破綻・・・自分が相手を理解して支え合う関係が作れれば良いけど、そのためには自分も大人にならないとダメだし。

 やはり自分で努力して、自己認識を確立しないとダメでしょうね。とことん自分を見つめて、突き詰めて考えていくことが必要じゃないでしょうか。仕事で大きな失敗をしたときとか、大失恋をしたときとか、打ちひしがれたとき・・・誰にも頼らないで落ち込んでみると確立できることがあるみたいです。
 ポン太は壁打ちをお奨めします。落研だった友人が教えてくれた言葉ですけど・・・壁に向かい合って座り、次から次へとしゃべって行くんです。一種の独り言ですが、自分を逃げ出せない環境に置いて、正面から自分の悪口をぶつけます。思い付く限り、ウソを交えないで、容赦なく・・・そうすると「あぁ、自分て嫌なヤツなんだ。もう一回、自分を考え直そう」と思えるまで続けます。比較的時間もかからず有効ですよ。ときどきポン太は使っています。自分を見つめるには有効ですが、女性は鏡が相手の方が良いかも知れませんねぇ。
 もう一つは巣ごもり。3日ぐらい休暇を取り、インスタント食品ほかを買い込んで自室に閉じこもります。電気を消して、窓のカーテンは引いて、真っ暗な中で暮らします。まあ、オーディオ機器ぐらいは在ってもいいでしょう。動くのはトイレの用足しだけ。食べたものの片づけもせず、とことん落ち込みます。「あぁ、自分はクズだ。こんなクズなヤツだっただろうか・・・。いや、もっとポジティブに生きなきゃ」と成ります。ただ、巣ごもりの難点は一歩間違うと深いネガティブから抜け出せなくなることです。4日目も休むようなら・・・様子を見に来てくれるよう、知人に頼んでおくのが無難です。

 何はともあれ、自己認識は一朝一夕ではできません。毎日ひとつ一つ克服していけば、いつか「自分はこんなヤツだ。社会ではこれぐらいの役には立つんだろう」という認識を持つことができます。そのうち「もっと努力すれば変われる」と思い始めればラッキーです。そこからは新しい自分として元気に生きていくことができるでしょう。

99.04.28
前頁へ  ホームへ  次頁へ