読者のみなさまはお気づきですね。ポン太は理屈っぽい人間です。自分はされるのが苦手なくせに・・・ついつい説教をしてしまう相手がいます。自覚している限りでは、現在大学院二年生のA嬢と、某郵便局にお勤めのYさんのお二人です。日頃はしっかり者に見えるのに、どことなく危なっかしくて、ときどき手を伸ばして支えそうになる・・・お二人の共通点はそんな感じでしょうか。お二人とも本稿を読まないという前提で、少し言い訳を。
ポン太は、人材をこよなく愛します。能力を奮っている人はもちろん、能力を磨こうとしている人、磨く何かがキラッと光って見える人・・・が好きです。能力を備えながら手を抜いている人、能力がないからと諦めきった人、能力がないくせに才子ぶった人(あ?私のことか?)なんかは嫌いです。あんまり素質のない人には特別な感情を抱きません。二人の場合は、明らかにダイヤの原石のような鈍い輝きを持ち、間違いなく磨けば光ると思っていました。
老婆心(老翁心、いやいや、老爺心かも・・・)からついつい要らぬことまでコメントをして嫌われてしまいますねぇ。日頃はしっかりしているので、しっかりモードの時は話さぬのが華です。しかし、おとぼけモードなら・・・言うだけムダだったりします。やはり、しっかりモードの時にうるさく語ってしまうことになります。
どうせ私だって大した人生を歩んできたわけではありませんが、それなりにヤバイ経験もしてきましたし、人生を持ち崩した知人も多いので・・・言わずには居られないものです。でもまあ、「お説教」や「お小言」として聞き流されるようなら、言わない方が良いのでしょうかねぇ。何事も自分で経験するしか途はないのでしょうか。しかし人生は一度きり、「修正の利かない人生はない」などと聞いてみても、取り戻せないチャンスっていろいろありませんか? 耳学問として聞いてくれると良いのだけど。
ま、いいか。いつか判ってくれることもあるでしょう。今は少しでも記憶の片隅に残して貰えるよう、工夫をしてみようかな。憎まれっ子なポン太ですが、どうも長生きできない気がしますね。所詮は太くて短い人生、どうせ燃え尽きるのなら・・・誰かに何かを伝えて残したいです。大丈夫ですよね、期待していますからね。お説教こそ、我が人生ですね。
99.04.15
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