とある有名歌手のコンサートに出掛けたとします。観客の最後尾に在った小男は、ステージが見えないからと踏み台を持参し、前の男の肩に手を掛けて体を乗り出すことでステージが見やすくなりました。その小男の前の男、自分もステージが見えにくいので、同じように踏み台を使ってみました。確かにステージは見やすくなり、後ろの小男が乗り出してくることもなくなって快適を味わいました。さらにその前の男が・・・と繰り返すうちに観客全員が踏み台を使ってしまい、小男もその前の男も再びステージが見えにくくなりました。つまり、元の木阿弥になったのであります。作家の阿刀田高氏の持論「踏み台理論」であります(ちょっとアレンジ)。
そんなバカな・・・と思ってはいけません。世の中にはよく見掛ける事例ですよ。例えば受験戦争。とあるクラスは生徒たちの学業成績がドングリの背比べでした。一人の生徒が学習塾に通い始めたところが、ずば抜けて成績が伸びました。それに憧れた一人の生徒が同じ学習塾に通うようになりました。それが評判になって生徒たち全員が学習塾に通うようになって・・・結局どんぐりの背比べになり、後には高すぎる学習塾の月謝とこなしきれない課題の山が残った、となるのであります。
それでは世の中の時流に逆らって学習塾に通わない生徒はどうなるでしょうか? ただ一人落ちこぼれるだけです。学校の先生は学習塾に通う生徒たちのレベルに合わせた授業を行うからです。同じことはコンサートの事例でも言えます。一人踏み台を用意しなかった観客は、観客たちの中に埋没し、ステージも見えず、歌手の歌声も聞こえない、という状況に陥るのであります。このように時流に乗り損なうと大きな損をしてしまうので、バカなことだと解っていても、時流に乗らざるを得ない状況に追い込まれるのです。
などと書きましたのは、これからのシーズンに必要な冷房の話です。部屋にクーラーを取り付けると、室内は快適になります。しかし室外機から熱気を吐き出すことで室内を冷却する以上は・・・快適を求める人が増えれば増えるほど室外機の台数が増え、外気温が上昇するのです。集合住宅ではとくに顕著な話ですが、かつて縁側で扇風機に当たって涼を得ていた人たちも、部屋を閉め切ってクーラーを使わなくては快適が得られなくなりました。街に在る全家庭にクーラーが導入されれば外気温は2〜3度上昇します。そうなれば能力の低いクーラーでは部屋が冷却できなくなり、よりパワーの大きいクーラーに買い換えざるを得なくなります。各家庭のクーラーの能力が全てパワーアップすれば、さらに街の気温は上昇し・・・となります。クーラーを諦めた家庭は異常なヒートアイランド現象に悩まされて体調を崩すという、踏み台理論に填り込んでしまうのでした。
別に僻み根性ではありません。我が家にもクーラーはあります。しかし使わなくて済むものなら使いたくはないです。電気代が勿体ないからです。できることなら踏み台理論の愚かさに気付いて、みんな一斉にクーラーの使用を止めれば良いのです。そうすれば外気温は2〜3度低くなって快適になるはずです。昔のように打ち水をしたり、風鈴と団扇で涼を取るようにならないでしょうか。最近は鉄パイプに冷水を通し、冷熱輻射で内気温を下げる冷房システムも増え始めているとか聞いています。家庭への普及はまだ無理でしょうが外気温を引き上げない冷房設備としては有望ですね。
みなさん、思い切って踏み台を外してみませんか?
98.06.04
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