琉球王家[1] | 詳細表 | 一覧表 | |
出 自 | 清和源氏 | ||
拠 所 | 琉 球 | ||
氏 祖 | 舜 天 | ||
家 紋 | |||
出 典 | 姓氏家系辞書 | ||
解 説 | 源為朝は伊豆大島を逃れて琉球に至り大里按司の妹を娶り、尊敦を産む、尊敦は逆臣利勇を討伐し、琉球王舜天と称する。その後裔玉城は中山王を称し、大里按司承察度は山南王を称し、怕尼芝は山北王を称し三国分立す。察度王、西威王を討ちて中山王を称する。 佐敷按司の尚巴志は、察度王と同盟するも中山を先に征し、直後に察度王を誅する。山南王に察度の子武寧を立てるが、これを滅ぼして中山・山南を奪う。しかし父思尚に王位を与え、山北王をも誅して琉球を統一ののち、王位を継いで琉球王家尚氏を興す |
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派生氏族 | 尚 氏 |