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5.姓(かばね)と氏(うじ) |
氏が氏族の名称であるのに対して、姓は氏族の格を表します。新編姓氏家系辞書に基づきますと、姓の成立は大きく三つに分けられるそうです。まず神代から在る原始的姓は、公・彦・梟師・戸畔・祝・積・使主・長・勝・王があります。つぎに官職的姓は、国造・県主・稲置・別・神主・画師・薬師・史などがあります。最後に官制的姓は、君・臣・連・造・直・首があり、允恭朝に制定されたものです
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これらの姓は氏族の長に与えられたものですが、姓が世襲になるに伴って氏族の格を表すものとなりました。奈良朝において、それぞれの姓を代表する、大公、大祝、大王、大臣、大連などの姓を称する氏族が現れました。ところが、大化改新、壬申の乱を経て、功労のあった家には高い家格を、無かった家には低い家格を与える必要を生じ、これを明確に定めたのが天武朝の八色の姓です
これにより姓は、真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)の八つに整理されました。真人は近しい皇胤に、朝臣は臣のうち勢力のあるものに、宿禰は連のうち勢力のあるものに与えられたものです。なお忌寸は11氏族に与えたのち廃止され、道師と稲置は制定したものの与えられませんでした。臣は景行天皇以前に分かれたとされる皇裔に、連は有力な臣下に、それぞれ与えられています
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姓は氏族を代表する呼称でありますが、八色の姓が制定された以降は、全て朝廷が授けるものとなったために、同族でも姓が異なるようになりました。例えば中臣鎌足は藤原氏を、不比等は藤原朝臣を賜りましたが、鎌足の兄弟姉妹は中臣連、その後裔は中臣朝臣を、あるいは占部朝臣などを賜っています。また不比等の孫である仲麻呂は恵美朝臣を賜っています。姓は世襲するものですが、遡及する性格のものではないということです
臣下は氏と姓を組み合わせて用います。たとえば長谷真人、藤原朝臣、大枝宿禰などと称したわけです。武士は苗字を用いていますが、これは勝手な名乗りであるので、朝廷においては平朝臣信長、源朝臣家康などと称するのです
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