結局は役に立たなかった罹災証明書。その割りには面倒な手続きが随分とあった。身元の確認、罹災家屋の住民の遺族である証明、何とも煩わしい行列。しかも罹災証明書は震災直後には発行されなかった。このため後日区役所に出向いて申請したのだ。結局は被害届みたいなもので、ポン太自身には役に立たなかった。現地では仮設住宅の入居などに役立ったのだろうか。煩雑な手続であること、受付期間が短かったこと、など行政サービスの質は悪い。受付職員は急場に動員されたものか、応対も適当だ。突っ込んだ質問に応えられない職員もいた。
同日に国から支給される弔慰金の申請があった。結局姉妹の分は支給されなかった。二親等以内の親族にしか支給しないという建前からだ。相続権は兄妹に認めているのに変な話である。また家屋の全焼した住民に支払われる見舞金も支給されなかった。同居家族に限定するという制約からだ。いずれも法定規約に基づいていたそうだが。弔慰金は1人あたり250万円、見舞金は1件当たり10万円だった。のちほど人の住んでいない貸し家屋にも見舞金が出たと聞いた。何か理不尽な気がする。とはいえ、ポン太は東京に生活があったし家族の保険金も出たので目くじらを立てることもないが、兄弟二人で生活していて兄が死んだ場合、残された弟には弔慰金が出ないという不幸がある。弔慰金は同居の場合兄弟でも叔父甥でも認めるべきではなかったか。
行政に対する不満は全国から集まった義援金の配分にも言える。当初は日本赤十字が窓口になって集めた義援金を、神戸市が懐に手を突っ込んで奪い取った。民間に国民の善意を預けるわけにはいかないという理由だった。このため配分が大幅に遅れた。結局ポン太が貰った義援金は家族4人分の40万円ばかり。同居家族ではなかったことで二次配分の対象にもならなかった。問題は配分後の残高だ。1,000億円を上回る義援金のうち、確実に配分されたのは400億円あまり。その内訳もよく分からない。残りの内から高齢者や身障者に配分があったとか無かったとか。中小企業の再建に融資するとかしないとか。どうも大量に手元に残しているようだ。株式会社神戸市は恐るべし。融資条件は随分と厳しいそうで、3人に1人ぐらいしか融資して貰えなかったとか・・・融資だからいずれ回収するのだろうが、その使途はどうするのだろう。
仮設住宅の建設や追悼集会(うるさいことに、4年間毎年催している。笹山市長の格好のセレモニーであるほかにメリットはない。主役は遺族でなかった)には義援金は使えないはずだ。被災者の名前を刻んだモニュメントだとかにも使えないだろう。だからといって今頃配分して貰っても役に立たない。国民の善意をホットなうちに配らなかった行政の責任は重い。そのくせいつまでも義援金募集のCMを続けていた。今に震災基金でも作るのだろうか。
義援金は始めから日本赤十字に任せておけば良かったのだ。悪い前例を作ったもので、是非とも反省して欲しい。すっかりネコババしたなんてことはないようにして欲しい。
99/05/09
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