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震災日記No.09
震災日記(9:葬儀当日)
〜 たくさんの参列ありがとう 〜

 どんよりした曇り空の中、かすかに雨の気配が近づく22日。先日オーダーした礼服の引き取りとYシャツ、ベルトを求めに行く。従兄運転の車で洋服の青山へ。親戚のアルバムから家族の遺影を一枚ずつ集める・・・急なことで良い写真は集まらない。父親の写真はずいぶんと若い。貝塚の従姉も応援に来着。昨晩までに祭壇ほかは組上がっていたので、盛り花や花輪の設置などに忙しい。
 岸和田は「だんぢり祭り」を始め地元の結束が強い反面で、青年団などの勢力が強く、冠婚葬祭では青年団・自治会他に莫大な寄付が必要だそうだ。ほとんど町内葬となるようだが、今回は丁重にお断りする。あくまで親戚一同での密葬スタイルを取る。東京の職場から課長と同僚のヘロちゃんが参列のために来着。大学同期の青木様も遠方より来着。さらに姉の職場だった設計コンサルタント会社の方々が社長以下10数名がお見えになる。少年団のリーダーも交通渋滞をくぐり抜けて来着。親族も続々と到着して母屋も工場も人で埋まり始める。

℃桙ノ葬儀開始。寺の住職が厳かに読経を始める。近しい親族の葬儀は二度目だが、20年ぶりなので勝手が分からない。三部経と呼ばれるありがたいお経を頂戴する。その途中、妹の大学同期生40名近くが来着。少しにわか雨が来て雨宿りに腐心する。阿弥陀経が始まったところで焼香が始まる。100名近い参列者になり、葬儀は盛況。15時には終わり、親族で会食。参列者の大半は引き上げていただく。皆様お疲れさまでした。本当にありがとうございます。
 親族の会食では、喪主であるポン太がホスト役。顔をあまり知らない相手にビールを配り歩く。親族たちは死者への手向けに昔話を始める。生まれた時、学生の時、仕事を始めた時、結婚した時、神戸での仕事などなど、家では自分の昔話をしなかった親父。盆暮れには母親の実家へ里帰りする親父。結構田舎では肩身が狭かったのかなぁ、と考えた。父の妹は年齢が近かったこともあって、随分と父とは仲が良かったらしい。二人でしでかした悪戯などを聞かされるのは心が安まる。尼崎の従弟も父に世話になったと話す。それも16時にはお開き。

 しばらく後かたづけに時間を使って、岸和田泊。香典の整理と名簿の管理のほかは作業もない。さあ、明日からが戦争だ!

98.07.02
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