%朝早くに河内長野の叔父が合流。前日に連絡を入れたのだったが、その結果を飾磨の祖母には連絡していないという。当面は行方不明ということで結論。とりあえず葬儀の手配を岸和田の叔父がするというので、ポン太と河内長野の叔父は、妹の在学した大阪女子大学へ事情説明に伺い、退学手続を行う。同大学で安否確認の取れなかったのは妹だけだと聞く。妹の同級生が集まってくれたので事情説明と遺品引渡のお願いする。妹は学内でにぎやかな存在であったらしい・・・
一渡り用事を片づけて岸和田の叔父宅へ戻る。急のことなので礼服をオーダー。従兄が革靴などを買ってくれる。その後旦那寺へ出掛けて葬儀のお願いをする。住職とは面識があったので話は簡単に纏まる。岸和田に泊。
%08:00岸和田を発する。関西空港からジェットフェリーと連絡フェリーで神戸中ふ頭に到着した。兵庫駅から山沿い運行の市営バスで板宿入り。13:30須磨区民センターで遺骨を引き取り、死亡診断書の交付を受ける。その足で区役所に死亡届を出す。父親の職場の大将夫妻、隣家の人たちに会う。事情の説明とお礼を述べる。隣家ではじいさんが亡くなったらしい。
とりあえず焼け跡に行き、陶器など焼け残った物を写真に収めたり、袋詰めにしたりする。とりあえず北区の公営火葬場を目指す。あまりにも多いので選り分けて貰おうと思ったが、火葬場では新しい骨壺に4人分の遺骨を移し、全部持ち帰ることを勧める。神戸市の指示で骨壺は全て無料らしい。変なところだけ気が回る神戸市である。タクシーを拾い有馬・三田を経由。タクシーの運転手には荷物が遺骨だと悟られぬよう、救援物資を運んだ親戚を演じる。ものすごい渋滞に辟易する。
三田からJR福知山線、阪和線経由で岸和田に到着。23:00を過ぎていたが親族が一同に会していて、通夜のまねごとをする。祭壇も立派にでき、叔父の顔の広さに驚きを感じる。明日はお葬式。岸和田も三泊目。
遺体が焼けたことは幸いだった。家財道具一式が焼けたことは残念だが、梁や天井に押しつぶされた死体では火葬場にも運び出せない。実際問題として安置所で腐食したまま放置された遺体も多かったと聞く。近隣の坊主は呼び集められたが、全然葬式には足らぬらしい。岸和田の住職も西宮の応援に駆り出されたぐらいである。遺体を目にしなかったことが心の安らぎを与えるとは変な話だが・・・
98.06.29
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