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政治の研究No.154
自衛軍 の 新規創設論

 第二次世界大戦の敗戦国となった日本は、米国を始めとする駐留軍により軍隊組織を解体され、現在に至るまで正規軍が存在しないことに成っています。防衛庁という国家機関の下で、20万人以上の武装公務員を擁する自衛隊は、今なお軍隊ではないのですから。
 日本国憲法では、第9条第1項において、「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあります。さらに第2項には、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあります。自衛隊の合憲違憲論が争われて来ましたが、解釈はどうあれ、依然として自衛隊は軍隊でなく、そして陸海軍その他の戦力では無いのです。このまま放置し続けて良いものでしょうか。

 自衛隊が日本国の戦力であるとして、これを合憲であると強弁するのは、そもそも問題です。「国際紛争を解決する手段としては」という限定を以て「自衛戦争は否定しない」という暴論もありますが、昭和21年の憲法改正(実体としては、新憲法の制定)の議論において、当時の吉田首相が自衛戦争も放棄する発言をしたことから自明の結論が導き出せます。どう解釈の余地を持たせたとしても、現行憲法下では、正規軍を保持することに無理があります。
 そういう意味では、自衛隊は依然として鬼っ子的な存在であり、正規軍並みの機構と人員と武装を有しながらも、軍隊では無いのです。今後も国際紛争解決のために駆り出されることが生じても、せいぜい軍隊もどきの派遣に過ぎないことになります。東西冷戦以降は、西側諸国の一員として駐留米軍などの庇護も受け、曖昧な議論のままで自衛隊を増強してきました。しかし東西対立の構図が崩れ国際社会が混沌としつつある現状においては、日本単独で国際紛争を解決せざるを得ない事態が生じないと言えません。場合によっては、米国と対立する可能性さえもあるのです。

 「日本国が平和憲法のお陰で平和を謳歌できた」とするのも暴論でしょう。朝鮮戦争においても、湾岸戦争においても、そしてアフガニスタン紛争においても、日本は連合軍の一員として行動してきました。派兵はともかく、物資支援などを担ってきました。幸いにも連合軍が優位にある戦争に加わったために戦禍を被らなかっただけで、いつ相手国の攻撃を受けてもおかしくない戦争に参加してきたのです。
 せめて永世中立であれば平和は担保できるかも知れませんが、一方に肩入れする現在の政治スタンスでは、「憲法」による平和の担保はあり得ません。隣国よりも脆弱な軍隊しか持たない国々は、古来より滅亡または隷属を強いられてきました。これを回避するには、最低限の固有自衛力を持つ必要があります。

 自民党の先生方には日本軍の復活を願う声が強く、様々な画策が行われています。その前準備として、自衛隊の海外派兵も実施されましたが、なし崩し的な現在のスタンスは、極めて危険です。憲法解釈を歪め、時限立法という名の法整備は、一歩間違えると危機的な状況を招きかねません。先頃の不審船の攻撃事件にあるように、正規軍でない自衛隊の行為によって国際紛争が引き起こされたとき、日本政府はどう対処するつもりなのでしょう。
 まずは憲法を改正し、関係法規も整備し、かつ機構や人員の見直しも必要でしょう。しかし、自衛隊を単純に格上げするのは論外です。第一に、内情が他国(とくに米国)に筒抜けであり、機構も装備もオリジナルでない。第二に、文民統制のメカニズムが十分に確立されていない。第三に、自衛隊の体質の甘さ・曖昧さが改善されない。第四に、自衛を前提とした防衛構想や運用構想が練られていない。等といった課題があります。

 半端な状態で形式主義に偏り過ぎると、戦前の日本軍組織に逆戻りします。規模は小さくとも正規軍としての自衛軍の器を作り、一つずつ着実に組織構築と人員整備(教育も含む)を行い、自衛隊や海上保安庁の規模を縮小しつつ吸収していくのが望ましいと思います。一朝一夕には実現できないでしょうが、現状のままではリスクが大きすぎるため、日本自衛軍の新規創設を真面目に議論する必要があるのではないでしょうか。

02.01.13

補足1
 本文中の吉田首相の発言について補足します。昭和21年3月に「憲法改正草案要綱」が公表され、婦人参政権を認めた新選挙法による総選挙ののちに、同要項に基づく憲法改正が議論されました。日本国憲法は、大日本帝国憲法と全く思想の異なる憲法でしたが、一応は憲法改正というスタンスにより制定されたため、本文中でも憲法改正という表現をしてあります。
 とくに議論となったのが、「天皇の象徴化」と「戦争放棄」だったそうですが、戦争放棄の議論で「自衛のための戦争まで放棄するのは、行き過ぎではないか」という質問に対して、吉田茂首相が「世界には、自衛のための戦争は正当だという考え方もあるようだが、私はそのような考えを認めることは有害だと思う」と答弁しており、その後条文に手が加えられていない現実から見て、自衛の戦争も放棄していると読むのが相当だと思います。
 そもそも自衛の戦争には、相手国があります。そこでの武力行使は「国際紛争の解決」に当たります。謎の武装集団やエイリアン等に対する自衛は許されるとしても、相手が立派な独立国であれば、彼らに対する自衛の戦争は許されないことになります。そのためにも、憲法解釈ではなく憲法改正が必要であると思います。

02.01.13

補足2
 永世中立国を標榜するスイスでさえ、固有の軍隊組織を有します。日本が戦争放棄を謳うのであれば永世中立国であるべきですが、現在は米国の軍事戦略の駒でしかありません。特定国と軍事同盟を結び、特定国軍を領土内に駐留させている現状では、永世中立も戦争放棄も不可能です。
 非武装中立という選択肢もあるわけですが、朝鮮戦争の折にGHQの指示により警察予備隊を創設して以降、正規軍は不在でも武装部隊は実在しています。自衛隊や海上保安庁という組織を解体し、非武装化すれば戦争放棄が徹底されますが、隣国による侵略が皆無と言えない以上は、意味のない話です。日本政府が天才的な外国上手であれば、軍事的な不利も補えますが、現状では望むべくもありません。

 第二尚氏王朝の時代、内乱の絶えない琉球王国では武器を王家管理とし、非武装化を進めました。しかし尚寧王の時代に島津氏の侵攻を受けて、組織的な抵抗を行うこともできず、明治維新まで隷属を強いられました。せめて外交で巧く立ち回れば違ったのでしょうが、外交面でも失点を重ねて国益を損なった先例があります。

02.01.13

補足3
 以前に自衛隊の格上げを強調したコラムも書きましたが、冷静に考えると無駄が増えることに気づき、上記のような主張に変えています。自衛軍にしてから組織を変えていくのは、色々と問題がありますし、時間も掛かります。それよりは、新しい器を作って、少しずつ移していく方が現実的です。
 もう一つの問題は、駐留米軍の扱いです。日本が固有の軍隊を保有することになると、他国軍が駐留することに問題があります。これまでの相互協力という実績はありますが、最終的には本国へ引き揚げてもらうのが必要でしょう。横須賀港などを米国が継続使用したいというのであれば、有償提供という選択肢もありますが、補給拠点として提供するのが精一杯ではないでしょうか。

02.01.14
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