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政治の研究No.153
輸入から輸出・移転の時代

 日本という国は、他国から文化や技術を「輸入」することが、得意でした。飛鳥時代から現代に至るまで、諸外国から数多くの「輸入」を図ってきました。人材も「輸入」してきましたが、専らモノ主体の「輸入」が多かったのでは無いでしょうか。
 その「輸入」も、定常的に決まった分量の「輸入」がされたことは珍しく、ある特定の時期に集中して「輸入」が進んだ方が多かったように思います。その理由には、政治的な理由も関連すると思われますが、国内だけでは限界があると感じられたときに、集中的に「輸入」が進み、それが一段落すると「輸入」に飽きてきたのではないかと思われます。飽きるというと語弊がありますが、「輸入」の必要性が薄れた時点で興味を失ったというべきかも知れません。

 例えば、飛鳥時代から平安時代に掛けては、中国の律令政治や仏教文化に興味を持ち、積極的な「輸入」を図りました。その後に中国の政治不安もありましたが、一応は目的を達成したとして、「輸入」を中止しています。「輸入」の結果を独自に分析・吸収し、さらに発展させていったのが、平安・鎌倉・室町の時代ではなかったでしょうか。その後も中国との貿易を行った時代がありますが、積極的な「輸入」は見られていません。
 安土・桃山時代に入り、スペインやポルトガルと接点を持ち、積極的な「輸入」が図られました。主には、鉄砲や大砲などの兵器、造船技術や航海技術の一部であり、これに紛れてキリスト教の輸入もありました。当時にヨーロッパの歴史や政治体制に関する文化を「輸入」していたならば、日本の発展も変わったかも知れませんが、その後の鎖国により、再び独自に文化を発展させる時代を迎えました。中国やオランダとの貿易は続けましたが、あまりにも限定的でした。
 江戸時代末期に開国を迫られ、その後は「文明開化」と称して、数多くの欧米文化を「輸入」してきました。数多の人材を巨額の国費を投じて派遣し、急速に文化や技術を輸入したのは、何となく遣唐使と同じ発想と見えますが、その勢いは諸外国が目を丸くするほどでした。同時に軍国主義や全体主義が根ざし、欧米に追いついたと判断された時点で、再び「輸入」は止まって、自分の殻に閉じこもり始めました。日露戦争〜太平洋戦争敗戦までの時代であり、興味を失うと外国に興味を失う姿勢は、相変わらずです。
 そして、敗戦。アメリカ主導での民主政治と、資本主義経済の「輸入」が進みました。その後の高度成長までは次々に米国へ人々が訪れ、文化や技術の「輸入」が進みました。しかしバブルを迎えて興味を失い、バブル崩壊でようやく世界標準の「輸入」に移行中です。

 海洋という障壁が存在し、ともすれば閉ざしがちな門戸の存在があったために、一度「輸入」を決意したときのスピードとボリュームは巨大ですが、「輸入」に飽きた場合の反動も大きいようです。また「輸入」は、不完全な形で行われることが多く、都合の良い部分を適当に咀嚼してしまうことも多々あります。一種つまみ食い的な「輸入」が招く混乱や失敗も目立つようです。
 今は不況の時代を迎え、国内だけでは身動きが取れなく成りつつあります。再び「輸入」により乗り切ろうにも、手本とするべき相手が不在なのも響きます。そろそろ、都合良く「輸入」だけに依存する体質も改める必要がありそうです。すでに国際社会の一員として重要な位置を占め、自国の都合だけを優先してよい時代でもありません。これまで形ばかりであった外への「輸出」や「移転」を改善し、途上国を含む他国支援や、文化・技術輸出の積極化、あるいは情報の発信や交換、の重要性が高まっています。。

 国際社会の一員としての自覚を持ち、その場しのぎの「輸入」に依存する姿勢を改め、幅広く人材や情報の交換を進め、文化や技術の「輸出」や「移転」を拡大していくべきです。産業の空洞化などと騒がれていますが、大局的にみれば日本的なモノが、ようやく「輸出」や「移転」されるようになっただけの話です。出ていくものは出るに任せ、良くなれば再び取り込み、また新しいモノを生み出していけば、空洞化を心配する必要は無いと思います。

02.01.13
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