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政治の研究No.113
派閥のボスは、小粒になった

 自自公連合の勢いを駆って、首相公選制の議論が起こっているようですね。以前に一度、公選制に関するコラムを書いたのですが、改めて取り上げたいと思います。

 自由民主党が激しい派閥争いを繰り返していたのは、三角大福中と呼ばれた人々の時代で、それぞれに派閥を率いつつ合同と分裂を繰り返し、結局揃って内閣総理大臣の地位を手に入れた珍しい時代でもありました。派閥のボス同士の激しい駆け引きは度々新聞を賑わせて、国民も政治談義に花咲かせることができました。
 しかしその後は、派閥のボスであっても内閣総理大臣に成れない小者が増え、争うにしても駆け引きの妙でなく、数の論理ばかりです。スキャンダルだなんだと足を引っ張り合い、政策論争よりもダダこねが目立ちます。かつては厳しい姿勢批判を繰り返した新聞の論調も、近頃では情報を垂れ流してゴシップを振りまくばかりの体たらくであります。

 派閥の最終目的は、ボスを党総裁・内閣総理大臣に押し上げることです。派閥のメンバーは、ボスの内閣で閣僚や党三役を経験し、党内でのステータスを上げていきます。何よりボスが内閣総理大臣となれば、主流として自分の地元の意見が通りやすく、当然に自分の地盤を固めるチャンスになります。人脈も拡がり、資金パイプも太くなります。いつか自分が取って代わるという夢を追うこともできます。
 その目的からすると、ボスが内閣総理大臣でなくなった時点や、ボスが内閣総理大臣に成れなくなった時点で、派閥は解消されてしまいます。少なくとも佐藤内閣の時代までは、そうでした。しかし田中内閣以降は、継承ばかりが目に付きます。派閥を継承すれば、構成員も人脈も資金パイプも苦労をせずに手に入れられます。継承を前提として派閥にしがみつき、政治能力を磨くよりもボスに媚びることに躍起に成ってきたようにも見えます。
 派閥が何代も継承されることに成って、いずれの派閥のボスも小粒になりました。正面から政略の技を競うのでなく、合従や連衡を繰り返し、いつか自分にお鉢が回ってくるのを待ち構えているようです。ニューリ−ダーだ何だとチヤホヤされても、際だった何かがあるものでもなく、その実力はどんぐりの背比べです。派閥は自力で築き上げるほどの実力さえ無いのですね・・・。

 かつては密室で党総裁が決まるという批判が強かったようですが、近頃は主流派閥の頭数を揃えるだけで党総裁に成ってしまいます。どちらも詰まらないですし、これが正しい政党政治なのかと感じます。党総裁なる者は、人数や資金ではなく、明確な政治ビジョンと強力な指導力を持ち、高度な政治能力を奮って欲しいと思います。中途半端な能力のまま選出される党総裁が、そのまま内閣総理大臣に成ってしまうのだとすると、それは民主政治の冒涜であり、有権者への背信でありましょう。

 ということで、次回は「首相直接公選制について」を書きます。

00.04.02

補足1
 小渕首相が病に倒れ、スピード交代劇で森首相が誕生しました。自由民主党では依然として最大を誇る小渕派はどう変わるのでしょうか。小渕派は、田中派・竹下派の流れで来ている保守本流です。これまでも結束力の強さに定評がありましたが、ボスを欠き、有力なナンバー2が見当たらないなかで、これからも最大派閥の地位を維持できるのか微妙でしょう。
 何より選挙を目前にしてのトップ不在は致命的です。他派閥からの攻勢に絶えきれず、分裂や崩壊に繋がる可能性が否定できないかも知れません。草刈場に変えられてしまうのか、新しいリーダーを担いで存続するのか、派閥のあり方が問われる良いチャンスでしょう。

00.04.05
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