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政治の研究No.109
歴史のターニングポイント

 通常、王朝の交代によって国家体制は大きく変化をします。変化前と変化後には激動があり、一つ一つの交代劇が歴史のターニングポイントに成っていると思われます。その最たるものが、中国王朝ではないでしょうか。イングランド王朝もそうですよね。王朝の交代では、多くの歴史が消え、改められます。そういう点では記録好きの中国人は例外に入りますが。

 日本の場合も、政権の交代を伴う激動期は何度もありました。しかし、今日に至るまで天皇制は維持されており、表向きは万世一系の歴史が綿々と続いています。そうなると、便宜上、政治の中心地をキーにして、飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代・江戸時代と呼び慣わす時代区分は、適切ではないようです。
 次善のキーは戦争ですが、これは日本でも使えそうですね。皆様にお付き合いいただいている「日本史の研究」というコーナーは、戦争をキーとして歴史を読み解いて行こうとしています。戦争と申しましても、天下分け目の大決戦もあれば、静かに進行する宮廷クーデターもあります。戦争もクーデターも数あるでしょうが、国家体制に大きなインパクトを与えてきたものを中心にピックアップしてきたつもりです。これから現代まで綴り続けられるとすれば、同じ方針で書き続けたいと思います。

 国生み・天孫降臨・神武東征・・・古事記や日本書紀に記される数々の物語は、いずれも大和朝廷の成立に到る大事件を意味するのでありましょう。しかし神話というオブラートに包み、正統性という大義名分で焙られた物語は、我々に真実を告げてくれません。
 そこで古事記や日本書紀が誕生する契機になった、壬申の乱を一つ目のターニングポイントと捉えてみましょう。これにより豪族の連合政権から天皇親政へと中央集権が進みました。律令制の導入など国家体制が大きく整備された時代でもあります。次に藤原百川の宮廷クーデターで藤原時代が幕開けましたが、平治の乱で藤原時代は終焉を迎えます。藤原氏は数々の謀略によって権力掌握に務めましたが、内部紛争に付け込まれる形で、武士の台頭を許してしまったわけです。
 
 武士の時代を切り開いたのは、あくまで平清盛です。源頼朝の開幕も清盛の功績の前では霞んでしまいます。そして朝廷との微妙なバランスをひっくり返した功績は政子にあり、承久の変により武士政権を確定させたました。その後は外国の侵攻というイベントもありましたが、インパクトが弱かったせいか、外国を意識した国家体制は掴めませんでした。
 後醍醐天皇による建武時代は停滞した社会に新風を起こす程度のもので、在来の悪弊を振り払うほか大きな功績もなく、武家政権のワンポイントだと見ています。足利尊氏の開幕も大きな意味合いは見いだせません。応仁の乱そのものは些少なイベントですが、結果として混迷の戦国時代を演出し、地方分権の時代を拓きました。そして再び中央集権の途を拓いたのは織田信長ですが、大坂の陣で勝利を掴んだ徳川家康によって、ようやく完成を見ました。
 保守的な徳川政権は、歴史の流れを300年近く止めるという暴挙を働き、ダラダラとした平和が続きました。諸外国の介入と、雄藩・志士の活躍による戊辰戦争が勃発により、日本も惰眠から目覚め急速に文化停滞を巻き戻しました。今日の先進国の仲間入りは、まさしく戊辰戦争の成果によるものでしょう。
 しかし先進国の仲間入りを急いだ結果、反動政治と急速な軍国化を招き、破滅的な太平洋戦争を引き起こしました。史上最大の消耗戦は敗戦により終息し、表面上民主国家に成り得たのは、怪我の功名でしょうか。

 戦後の復興を助けたのは朝鮮戦争でありましたし、その後、戦中に培われた勤勉さを活かして高度成長を成し遂げたのは、周知の事実です。しかし成長の成果をバブル期に食いつぶし、負の遺産を今でも引きずっています。負の遺産を清算するには非力な国家体制であり、打開点を見いだすには政界再編などの大きなインパクトが必要だと思います。間違っても戦争やクーデターというドラスティックな変化を誘発しないよう、平和的にターニングポイントを迎え入れたいと思います。

 ターニングポイントは、そのポイントにある人々には認識できない存在だそうです。大きな事件だと感じたことが実際は大した潮流にもならず、些細な事件だと感じたことが歴史の歯車を大きく進めてしまうことがあります。いつか振り返れば、ターニングポイントとなる事件に気付くかも知れませんが、私たちは歴史を学びつつ、時代の変化を見据えていかないとダメだと思うのです。

00.02.11
00.02.12(改)
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