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政治の研究No.50
マイホーム冬の時代(改題)

 何時からか土地は持つだけで価値が上がるものだと考えられるように成りました。全くカネを生みだしていない遊休地を、右から左へ渡すだけで利益が出る、10年間寝かしただけで地価が二倍になる、そんな異常な価値観がニッポンには蔓延ったのです。土地転がしや地上げの横行だけでは説明がつかない原理により、土地の価値は上昇を続けてきたのです。土地神話の根っこは、商業地や工業地よりも住宅地にあるような気がします。

 戦前に10円で買った郊外の一戸建てが、バブルの最中に3億円・・・なんて話がありました。戦争を挟んでの貨幣価値の急変がありましたが、住み続ける人間から考えれば土地は安いに越したことはありません。他人から羨ましがられる立場ですが、固定資産税や相続税が莫大で支払えず、泣く泣く手放したという話も聞きます。売却すれば大金が得られますが、その代わり見ず知らずの土地へ引っ越すことになり、貰った大金も身に付かないという不幸もあります。喜んだのはその息子や孫たちで、当の本人にとっては悲惨な話だったでしょう。都市部における地価高騰は多くの人を不幸にしました。
 高度成長が終わり、本当に苦労をしてマイホームを手に入れた世代の人々はリタイアしました。その息子や孫たちは、親の汗が染みついたマイホームを処分して大金を手にし、新たなマイホームを物色しました。裸一貫の者も、マイホームさえ持てば将来贅沢ができると考えて負担の重いローンを組み始めました。誰もが住むことよりも儲けることを優先してマイホームを買っていたように思います。土地は物価上昇に伴い地価も上昇しますから、長い目で見ればある程度の値上がりは期待しても良いかも知れません。これに対して、家は住むほどに価値が下がり、とくにマンションは10年もすれば価値が無くなるはずです。しかし何故か家もマンションも年々価値が上昇したのでした。だからこそ借金をしてでもマイホームを買おうという人が増えたのでしょう。しかし現実には年利10%(銀行系ノンバンク借入の場合)のローンを組んでまで、マイホームを買う必要はなかったのではないでしょうか。

 マイホームは一つのステータスだったと考えています。マイホームは誰もが買わなくてはいけない、という強迫観念に長い間国民は曝されて来ました。一種の踏み台理論雑記帳第26回を参照)であります。借家住まいは貧乏だと考える向きがあったようですが、正しくは価値観の違いに過ぎません。衣食住の住への投資を膨らませることが健全な家計であるかは別に議論が必要であったでしょう。しかし、猫も杓子も家を買おうとし、生涯賃金の大部分を費やすような住宅取得ブームが起きてしまいました。既にマイホームを取得した者も、古いマイホームを処分した資金で新しいマイホームを購入する、大きなマイホームに住むことがステータスのアップだと考えたのだと思います。住宅の買い換え需要にも応える形でマイホーム需要は増え続けましたが、この需要は幻想に基づく空需要であったようです。
 少なくともバブル崩壊後は、マイホーム購入の実需が冷え込みました。とくに買い換え需要が落ち込み、新規需要も身の丈に合ったものに限られてきました。この6年余りで、不動産業界は地価は底値だ、安値だを連発してきました。しかし依然として下げ止まりません。ローン金利も低水準に抑制されて、確かにお手頃感は出ています。しかし地価がまだ下がるとすれば誰も敬遠するでしょう。需要が増えなければ地価は一層下がるという循環が断ち切れない限り、マイホームの冬の時代はしばらく続くかも知れません。

98.11.23

補足1
 住宅金融公庫は融資金利を2.0%まで引き下げました。また融資額の上限を引き上げるとか、失業者には金利減免をするとか、セカンドハウスに住宅取得控除を認めるとか、至れり尽くせりの議論が出ています。さらに政府・自民党は住宅ローン減税を議論しています。こうした政策で住宅需要を喚起しようというのは小手先の技術に過ぎません。地価下落に歯止めを掛けるのがまず先で、その前に適正な地価とは何か、を議論しておくべきだと思います。

98.11.23
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