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政治の研究No.08 |
国旗掲揚に脱帽は必要か
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長野オリンピックは無事に終了したようです。心配した雪の問題は直前の大雪のお陰で解決しましたし、その影響でスケジュールが混乱しましたが、これは委員会の能力不足の問題で、終わってみれば、まずまず成功という評価を受けているようです。
さて、とある日本人選手が国旗掲揚、君が代演奏のときに脱帽をしなかったことが非難されました。あまりの栄誉に舞い上がっていたか、始めての体験なのにコーチ達が教えなかったのか知りませんが、大きな物議を醸し出しました。まあマスコミが騒ぎ始めたのでしょう。
パレードなどで行進をする機会があるのですが、必ずあるのが「頭(かしら)右!」という号令ですね。軍隊なら知らず、見ず知らずのおっさん達(正確には政府、地元自治体や委員会のお偉いさん)に敬礼してどうするのでしょうか? おっさん達は気分が良いのだそうですが、これは戦前の遺物、全体主義そのものの風習です。
国旗や君が代(国歌に認定すればよいのに・・・外国人選手はどう思ったのでしょう)に対して敬意を示さなくても、国旗や君が代は怒りませんね。怒り出すのは国旗の向こう側に居る政府各位と国旗の下に結集すべきとお考えのご老体方でしょうか。当人が敬うつもりがなければ、敬意を払う必要はないでしょうね。
脱帽は一番軽い礼儀であります。別に国旗に敬礼せよと言われたわけではない。一番軽い礼儀ぐらいしても良かったかな、とも思いますが、それは本人次第でしょう。周囲の人間、それもオリンピックで活躍したわけでもない人々が批判するのは恥だと思うべきでしょう。人間には敬意を払いたくない相手には敬意を払わなくて良い自由があります。それが自由主義というものではないのでしょう。彼女にとって、日の丸や君が代は敬意を払う対象では無かったのでしょうね。
私個人としては、日の丸には敬意を表しています。日本民族のシンボルとして歴史を重ねてきたわけですし、太平洋戦争で悪名を高めたかも知れませんが、それは外国人の見解であって、日本人の多くは日の丸に日本そのものを見て、突撃や特攻を敢行したわけです。旗の向こうに田舎の母親や婚約者が映ったことでしょう。ただ、未だに右翼の皆さんが看板代わりに使って居られるので、日の丸のマイナスイメージも膨らんでいるのは間違いありませんが・・・
ただ君が代はどうかと思います。その発祥の歴史は奈良時代とも室町時代とも言われています。しかし歌詞が古文でよく分からない。良い歌であっても、広く国民に理解されない歌、政府謹製のお仕着せ歌では国民の理解が得られません。だからこそ「国歌である!」と明文化していないのでしょう。国民の大多数の支持が得られるような国歌を新調してみてはどうなんでしょうか。小室とか、松任谷とか、谷村とか・・・じゃあ難しいのかな。
98.02.28
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補足1
自民党がいよいよ国旗と国歌の法制化に動くそうです。言い出した原因は、とある学校の校長が国旗掲揚と国歌斉唱の板挟みにあって自殺に及んだからだとか。随分と都合の良い解釈をした大義名分であります。法制化に当たっては、掲揚と斉唱を強制するものとしないそうですが、法制化されればプッシュ力が強まるのは間違いないところです。
さて国旗ですが、これは概ね認知されているので「日の丸」のままで良いかと思います。ただ国歌に「君が代」を採用するのはいかがなものでしょうか。本文に1年前に書きましたように、歌詞が古すぎてよく分からない。どうやら「天皇の世」を讃えるものらしい、と言われています。だから新国歌を制定してはどうか・・・という議論には成っていないようです。今回法制化されてしまうと「君が代」のまま固定されてしまうのは確実です。
世論として「新国歌制定」をブチ上げてもらないものでしょうか?
というところで、お奨めのHPを一つ。「君が代不適当論:君が代は主権在民の日本国にふさわしくない」(http://www02.so-net.ne.jp/~korishou/back7.htm)です。
99.03.03
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補足2
情報を小出しにしながら国民の反応を探っていた自民党は、今期国会での法制化は見送ることに決めたそうです。野党各党が慎重な姿勢を示していることや、党内部からも尚早論が出ていることが理由であるそうです。とはいえ、法制化を断念したのではないため、引き続き注目することが必要ですし、新国歌制定に専念するべきです。ひとまずは、めでたし、めでたし。
99.04.01
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