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政治の研究No.04
神戸に空港なんていらない!

 現在の関西の空の玄関口は関西国際空港です。現在滑走路を拡充中ですが、近代的で立派な空港であります。南河内の泉佐野市沖合に浮かんでいます。本空港が設立される直前に神戸市も国際空港誘致の名乗りを上げていました。これが神戸空港構想の発端です。
 そもそも大阪国際空港(通称、伊丹空港)は、軍港として整備され、その上空は気流の乱れが少なく、快晴の日が多いことで知られていました。これは空襲を含む緊急時における発機率を高める上で重要なことでありました。しかし絶え間ない騒音に地元住民の反発が強く、また相次ぐ飛行機事故が大阪市街で生じる可能性もありました。これにより代替空港の建設が計画されたのです。この代替空港に有望であったのは神戸市と泉佐野市でありました。前者はポートアイランド沖に新たな埋め立てを行って空港建設を提案し、後者も現在地に埋め立て建設を提案しました。
 しかし神戸空港は無謀な構想でありました。まず市中心部から二つの大橋を越えるため所要時間が大きくなることが懸念され、市中心部から大阪までも新快速で30分も要する距離であり、交通の接続も悪かったのです。震災が証明したように、大橋が寸断されると空港機能が麻痺する可能性が高かったと言えます。さらに潮流を妨げ、数少ない水産資源を喪失させる恐れがあり、さらに船舶航行にも支障を来す恐れがありました。海運で栄えた神戸の基を揺るがそうかという構想であったのです。結果、泉佐野に新空港は建設されました。

 泉佐野に敗れた時点で神戸空港構想は立ち消えになるはずでした。実際の問題からいって、ポートアイランドのK−CAT(不便な場所にありますが、アクセスが悪いのは神戸空港への伏線でしょうか?)から関西空港まで約30分で行けますし、カウンターチェックも手荷物預かりもK−CAT内で受けられるので無駄がありません。神戸沖を犠牲にすることなく、利便性だけ得ることができたのです。しかも震災では、無傷の関西空港から多くの物資が運ばれてきた大恩もあります。関西空港に対決する必要は始めからないのです。
 ところが神戸に空港を作るのだと聞いています。前回で述べたように株式会社神戸市は行き詰まりを見せています。これまでの蓄えも2001年頃に底付くといわれて言われています。果たしてどこにそんな大金があるのでしょうか、もしも毎年赤字を垂れ流したらどうなるのでしょうか、という議論は成されていないようです。震災直後の神戸市議会選挙で多くの候補は神戸空港反対を叫びました。しかしその後の議会では一転して賛成を主張するという豹変ぶりをみせる議員が多かったように思います。笹山市長は1997年10月の市長選挙で7万票差まで追い上げられて当選という危険ぶりを見せましたが、彼も神戸空港建設を主張しています。

 かつて初代日本丸が引退するときに、神戸市が引き取り先に立候補しました。本船は神戸で建造された経緯があったのですが、横浜市に奪われてしまいました。この時点では既にドッグ付きのメリケンパーク建設が進んでおり、日本丸が得られなくても完成させざるを得ませんでした。日本丸の兄弟船である海王丸は富山県新湊市に奪われて展示物がなくなりましたが、建設を強行したのです。今回の空港建設もこれに近い状況にあります。もちろん予算の規模は全く違いますが。

 何故、神戸市は空港建設に積極的なのでしょうか。もはや国際空港には指定しないと運輸省は言っています。建設費と維持費の大部分は神戸市と兵庫県の負担になるでしょう。計画では西国諸空港との地方便を受け入れるという話ですが、見積もりほどの利用需要は無いでしょう。かつて福島空港が利用客数を誤って大赤字を出しつつも滑走路を延伸し、さらに赤字を拡げました。その原因は、積極過ぎる行政の存在と、甘すぎる彼らの見通しでありました。今の神戸市がこの轍を再び踏まないという保証は全くありません。神戸市が楽観論を重ねるのは、まさに利権でしょう。2,000億円とも3,000億円ともいわれる建設予算の5%を山分けすればざっと100億円です。将来発生する負担など関係がないという考えなのでしょうか。
 また騒音の問題は全く解決されていません。気象条件も決して良好ではありません。建設予定地の地底には数本の断層が走っており、地理的条件も良くありません。提携する地方空港との交渉話も聞いていません。神戸上空を飛行中の小型機が市街に突っ込まない保証もありません。とにかく空港ありき、なのです。こんな状況で飛行場を作ることは狂気の沙汰です。元神戸っ子の一人として主張します。

神戸に空港なんていらない!!!!!!!!!!

98.01.28
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