やくしゃ と ヤクシャ

とある漫画家の作品に、売れない役者と、売れない訳者の登場する物語がありました。売れない訳者は、洋画の字幕スーパーを入れる仕事として描かれていましたが、当然に日本語吹替版でも必要な仕事。そして、ミュージカルでも・・。

翻訳家という仕事

機械的に、英語を日本語に、日本語を英語に、変換するのが翻訳家の仕事です。話の要点を分かりやすく訳する通訳とは違って、内容に忠実に訳するのが翻訳です。論文ならともかく、小説や映画の翻訳は大変に難しいそうです。まずワード数が少なく、解釈の余地が大きいこと。前後の文意を解釈しつつ、最適の訳を見つけだす必要があります。

映画では、訳文の長さと原文の長さが同程度であることも求められます。原文5秒のフレーズに、訳文10秒は押し込められないと言うことです。さらには、口の動きなども注意が必要。豊富な知識、潤沢な感性、溢れる知性、が求められるのだとか。さらに加えて、同じ仕事をするのに・・そこは熟練度で報酬が違ってくるそうです。加えて、訳した作品の売れ行きも影響するとか(歩合報酬だったりするのだ)。

他人の著作権の問題もあるそうです。海外小説をベースにした外国映画の場合、すでに小説の邦訳版が出ていたりするそうです。これは便利だ、と思うなかれ。うっかり小説の邦訳版に似てしまうと、そちらにも著作権料を払うことになる(というか、翻訳家の仕事は要らない)のです。

そこで、ミュージカル

脚本の翻訳を行う、文字通りの翻訳家。そして、歌詞の翻訳を行う訳詞家。兼務することもありますが、それぞれ別人が担当することがあります。翻訳版の脚本を使うこともあるので、必須なのは、訳詞家さんでしょうね。翻訳家の方は、あまり制限もないので、少しぐらい長台詞でもOK。そして、超訳でもOK(要するに、アバウトにフィーリングで訳してもいいという話)。しかし、訳詞家は大変です。

以前にも描きましたが、翻訳に忠実であろうとした訳詞は、ボロボロです。ミュージカル・ナンバーは音韻を踏んでいるので、邦訳が韻を踏まないと歌に成りません。訳詞家が自分で歌いながら訳していけば良いのですが、なかなか人材は少ないようです。普通の台詞と違って、超訳すると意味不明になることも。とくに翻訳家と訳詞家が別人のときは、要注意です。

日本語は、英語と同じ中身を伝えるためのワードが多すぎること、も課題です。微妙なニュアンスを省くのもありますが、それでも英語よりも早口で多くのワードを話す必要に迫られます。やむなく、英語を一部に残してしまうと・・前回で指摘した「カタカナ・ナンバー」のできあがりと成ります。困りますね。

翻訳家・訳詞家が頑張ったにも関わらず、役者がそのとおりに話さない歌わないということもあります。役者が原文も読んでいると違うのですが、通り一遍の台本・譜面だけでは、その真意が伝わらず・・平べったい「愛してる」に成ったりもするそうです。