「異国の丘」を観て1

劇団四季が久しぶりのオリジナルミュージカル「異国の丘」を、産み出しました。観劇中に、幾度も「?」がありましたので、劇評はもう一回観てからにすることにしますが、一応印象を。

四季のオリジナル

劇団四季は、観客動員の大部分を、専らブロードウェイ物の輸入に頼っています。キャッツ・オペラ座の怪人・コーラスライン・美女と野獣等々、そして来年にはコンタクトが上演されます。ファミリー作品を除けば、本格的なオリジナル作品は、夢から醒めた夢など数作品に限られます。ストレートプレイは、余禄という感があります。

ファミリー作品を除くと、「夢から醒めた夢」「ユタと不思議な仲間たち」「ミュージカル李香蘭」などが、劇団四季を代表するオリジナルミュージカルです。長年オリジナル作品が上演されなかった最大の理由は、劇団四季の急膨張にあると思います。ここ数年で、定点公演を行う都市を急拡大し、提携劇場も増え、浜松町には自前劇場を獲得しました。代表であった浅利慶太氏が、経営に手一杯であり、オリジナルを手がける余裕が無かったのでしょう。

劇団創立から約50年を経て新世紀を迎えた今年、慶太氏は経営の一線を退いて、オリジナル新作を手がける余裕ができたという訳です。今後もオリジナル新作を産み出し続けるのか、それとも本作を総決算とするのか、よく分かりません。

異色の戦争物

新作「異国の丘」は、李香蘭に続く戦争物です。李香蘭は、華々しい女優時代、戦争時代を経て、ハッピーエンドで結ぶミュージカル向きに仕立てた作品でした。これに対して、暗く重いまま幕を迎える本作は、ストレートプレイ向きに仕立てた作品です。確かに、ニューヨーク時代のエピソードを組み入れ、ヒロイン愛玲を絡めていますが、終始渋い重苦しい味付けです。

シベリア抑留者を題材とし、日本国宰相の息子でありながら事実上ソ連に殺された九重(近衛文隆)を主人公に据えています。彼の抑留時代を描く意味では、愛玲なる女性の位置づけは弱く、友人神田の存在も無意味です。せめて前半を戦前、後半を戦後に整理すれば違いますが、両者を不必要に絡めてしまっています。余計に重圧感を増し、娯楽性を失わせています(いつもの繰り返しですが、娯楽性の無い歌劇はミュージカルと呼べません)。

いつかに書いた、哲学を前面に押し出しすぎた作品であると言えましょう。ナンバーはラブソングを絡めるものの伏線が甘く、米英中の暗躍をごた混ぜて切れ味を欠いています。シベリア抑留者の扱いも亦あいまいに留まり(遺書を読み上げるシーンも説得力を欠きます)、一人主人公の不幸に矮小化されてしまっているようです。プログラムの解説はよく整理されているのですが・・。

劇団四季のミュージカルという金看板のお陰で、チケット売りも順調なようです。早くもロングランと宣伝していますが、四季ファンの多くには受け入れられにくいのでは無いでしょうか。これから作品の筋立てなどを見直して、完成度の高い定番作品へと昇華させて欲しいと考えます。