たいとるぼぉど

旧き良き時代。芝居小屋にやって来ると、予告と全く違う芝居が演じられることが日常的にだったそうです。

それは、脚本の都合

とりあえず客を呼び込むために、面白そうな予告編を打つものの、当日には事情があって変わってしまうのでした。あるいは同じ予告が流れたり・・。それでも許される時代がありました。

例えば演芸場には、この慣習が残っています。本日のトリが無名の人に変わっていたりしても、目くじら立てて怒る人は少ないです。1カ月以上も前から予告していた師匠が、ちょっとした都合で演台に乗れないことも、許されるのです。他にも出し物があるのですし、無名の人でも面白ければ宜しいかと。

レビュー小屋時代には、脚本も演出も行き当たり場当たりです。目先を変えるためだけに脚本を代えるのですから、マンネリ化もするし、構想1日というケースもあります。大当たりすれば、客が呼べる限りロングランというわけです。これは、海外でも同じで・・オフやオフオフでは同じ傾向が見られるとのこと。同じ脚本なのに、日々中身が変わったり結末も違ったりするそうです。要するに、面白ければ許されるのでしょう。

本日の演目

そのため、「本日の演目」はその前日か当日に決まるのが、一般的です。立派なプログラムは用意できませんし、看板やポスターも作れません。「本日の演目」を手書きで書いて、演台に載せておくのが、普通です。カタカナで言えば、タイトルボード。

チラシやチケットに刷り込んだものと内容の違う芝居は、今のお客には通じないでしょう。主演が変わっただけで騒がれるご時世ですから、「演目は、当日のお楽しみ」なんて、悠長な話はできません。公約どおりの作品を観せるべきでしょうね。「代金を全返しして、お代は観てのお帰り」で良ければ、苦情も少ないでしょうが。

ガリ版刷りの演目表を配布して、何となく芝居を見せる時代では無いのです。皆誰もが忙しい中で時間を取り、わざわざ劇場に足を運んでくれるのですから、期待を裏切らないことは重要です。タイトルが合っていれば良いものでもなく、内容を伴うことはもちろんです。。。話題が逸れてしまいました。

ボードのバリエーション

よってタイトルボードは、必須アイテムで無くなりました。しかし、センスの良いタイトルボードを提示することが多いです。開演前の気を惹く意味で、あるいは作品の題字を強く印象づける意味で、タイトルボードは欠かせないようです。およそですが、3作品に1回はお目に掛かります。

オーソドックスには、板きれをステージ上に立てかけるモノです。しかし、これは取り除けるのが面倒です。ピアノ線で吊り上げる方法もありますし、開演前の暗転で撤去する方法もありますし、演出の一環でキャストが回収する方法もあります。そこそこの規模の劇場では、大きなボードが必要なので、それなりに面倒があります。

そこでボードの代用もあります。幕にタイトルを描いておいて、幕をサッと除く方法があります。本幕の表面に描いておくこともありますが、少数派。紗幕や背景ボードに投影する方法もありますし、電飾でオンオフする方法もあります(高いですけど)。セットの裏面に描いておいて、開幕と同時に反転させるなどの工夫もあります。ブロックに一文字ずつ描いておいて、組み替えで見えなくするステージもありました。

タイトルボードに拘るということは、それだけタイトルに拘るということです。安直に付けられるタイトルだから、気軽に変えてしまえるわけです。タイトルに拘る作品ほど、良い作品である可能性があります。作品の全てがタイトルに集約されるのが、美しい姿ですが。