ステレオタイプ

音響装置の型式・・・ではありません。定形・典型・常套手段とか、そういうものです。ステレオタイプであることは、観客にとって安心できることは確かです。理解が早く、安心して観ていられるからです。展開の先読みができることも、プラスに働く場合もあります。

ステレオタイプなキャラ

何かの役を演じるとき、観せる方も観る方もステレオタイプである方が分かりやすいことがあります。腰が曲がっていて、杖をついていて、白髪頭であれば・・・老人。半袖短パンに野球帽・・・で少年。かわいい衣裳に大きなリボンの・・・少女。お決まりのスタイルであれば、そのキャラクターの説明は無用です。

しかし、主に脇役の話です。主人公が見るからにステレオタイプしていると、詰まらないです。ときに陳腐などと言われてしまいます。別に奇抜さを求める必要はないですが、キャラクターの性格付けという意味では、あまりにステレオタイプでも困ります。

また脇役といいますか、サブキャラもステレオタイプばかりでは、詰まらないです。一応キャラ毎に性格付けは成されるべきで、いかにアンサンブルといえ、それぞれ違った味を出して欲しいです。衣裳・立ち位置、あるいはダンスやセリフなども、ですね。俳優さん自身が工夫して欲しいところですし、工夫のしがいが出るところですから。

ステレオタイプなシナリオ

シナリオに関しても同様です。先の読めすぎるシナリオは、面白くありません。ある程度の定番化は仕方がありませんし、よく使われるから陳腐・月並みなわけですが、作品としての価値はオリジナル性にあるべきなので、一ひねり二ひねりは欲しいです。

別にシナリオを小難しく絡み合わせる必要はないと思います。エンターテイメントですから、愉しませることを主題に据えていけば、自ずと面白いものが出来上がっていくと思います。押しつけや独りよがりが無くなっていけば、良いと思います(ああ、私もそう言われていますが・・某掲示板で)。

シナリオをステレオタイプ化しない方法は、スタッフとキャストの全員で意見交換をし、どんどん脚本や選出を作り変えていくことです。もちろん脚本家や演出家のベースを崩してはいけませんが、議論百出するうちに面白いものが出てきて、詰まらないものは削っていって、と成るはずです。必要なのは、彼らの意見を素直に取り込んでいける脚本家や演出家の度量でしょうか。

ステレオタイプなナンバー

言い出したらキリがありませんが・・・ミュージカルナンバーも同様です。芝居とナンバーはきっちり分けるとか、曲調も唱いも毎回同じ、極めのポーズも展開も同じ・・・だと飽きられてしまいます。いろいろ盛り沢山である必要はありませんが、一つ一つのカラーを変えていって欲しいと思います。

作詞・作曲はもちろんのこと、シンガーも工夫が必要でしょう。シンガーの歌い方一つで、同じナンバーが全く違うものに化けさせることができます。同時にダンスもそうで、ジャンルはもちろん、ステップにしてもアクションにしても少しの工夫で印象を変えることができます。必要なのは、稽古やゲネで客観的な意見を言える人間を確保できるかどうかだと思いますが・・・。

抑揚やメリハリなどとコメントしていますが、やはり平べったいモノではダメです。どんなにベテランの劇団でも、手慣れた演出・手慣れた音楽・手慣れた芝居・手慣れたダンス・・・では飽きられてしまいますよ。

しかし、演劇はオリジナリティを追及するべきものです。お茶の間ドラマや、定番時代劇・・・である必要性は全くないのですから。せっかく何ヶ月も稽古や準備に費やしながら、それがありふれた出来映えであったなら、これほど無意味な話も無いでしょう・・・。