日本史の研究No.20 |
承久の変、その後 |
前回に北條義時は、小策士だと書きました。しかし、彼を大策士と見る向きもあるようです。最終的に姉政子の出馬を求めたとしても、結果として承久の変後の鎌倉政権は固まったためです。前々回では義時が相次いで政敵や源氏一門を葬ったと書きました。相手を挑発してから、大義名分を作って叩くのは、彼の常套手段です。とすれば、彼の無策のためでなく、彼の演出によって承久の変は発生したのかも知れません。
|
補足1
|
補足2
|