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経済の研究No.86
さくら銀行の増資問題


 公的資金の注入は、各銀行の自己努力を行うことが前提であるため、都銀各行は資本増強とリストラ強化に奔走しています。なかでも注目を集めたのがさくら銀行であり、三井グループの結束の証としてどれだけの資金が集められるかを試されました。さくら銀行は1998年11月20日の取締役会で3,450億円の資金調達を決議し、12月24日を以て全額の払い込みを受けました。これにより一息付けるのは間違いありません。しかしながら市場は冷ややかな対応を示しており、依然として株価は低調です。

■ 変則的な資本増強
 さくら銀行が集めた資金は3,450億円ですが、このうちさくら銀行本体への資本増強は862億円に過ぎません。第三者割当増資によって集めたこの資本は、日本生命・三井生命・太陽生命の三社から各100億円、三井不動産・三井物産・東京電力の三社から各75億円であり、以下東芝(50億円),三井火災海上(37.5億円),東レ・王子製紙・三井化学・日本製紙・野村証券・同和海上火災保険・中部電力(各25億円)・・・と21社から集められました。生保・損保・電力の大型機関投資家と、三井系有力企業とによる錚々たるものですが、有望株だったトヨタ自動車とイトーヨーカ堂は参加しませんでした。また残る2,587億円の資金は、さくら銀行のケイマン島に設立された海外子会社「サクラ・プリファード・キャピタル」が発行する優先株に払い込まれましたが、その資金は誰が出して何に使われるのか明瞭でありません。ちなみに第三者割当株式の発行価額は315円であり、増加する株式数は2.7億株に上ります。

■ トヨタ自動車が見送った理由
 トヨタ自動車はグループ各社への増資を行うと同時に、金融事業を手掛け始めています。現在の手持ち流動性資金の大きさを考えれば、今回の3,450億円を一社で引き受けるだけの余裕があったと言われています。しかしトヨタ自動車は敢えて出資を見送りました。世間でトヨタ銀行と揶揄されたからだとか、格付け機関に打診したら「格下げになる」と言われたからだとか、配当利回りよりもトヨタ自動車のROEの方が遙かに高いからだとか、色々と言われています。しかし、それ以上にさくら銀行とトヨタ自動車の距離が拡がってしまったことが理由であるようです。
 現在のトヨタ自動車は借入金0(1998年3月末現在)であり、金融収支も844億円の黒字と極めて優良な企業です。株主にしても筆頭は豊田自動織機の5.1%(持株比率)であり、さくら銀行は三和銀行・東海銀行と並ぶ4.9%に過ぎません。親密銀行も三井信託銀行,東京三菱銀行,長銀などあり、一応は三井グループであるもののさくら銀行本体との関係は深いものではありません。現在のトヨタ自動車から見れば、ただ三井グループの旗艦銀行であるというだけで効率の悪い出資に参加する意義がない、と判断したのでありましょう。

■ 旧三井銀行に受けた恩義とは?
 トヨタ自動車のオーナーは豊田家です。現在8代目の奥田社長は全く豊田家と縁のない人物ですが、名誉会長は豊田章一郎氏(6代目社長)で、会長は豊田達郎氏(7代目社長)です。かつてトヨタ自動車が危機に陥った際に、旧三井銀行が手助けしたことで、豊田家には旧三井銀行に対する恩義があるのだと言われています。果たして本当でしょうか?
 初代の豊田利三郎社長は、豊田家に婿入りした人物で三井物産の出身でしたので、トヨタ自動車(当時の社名はトヨタ自動車工業)の基礎は三井の人材によって育まれたと言えなくもありません。トヨタ自動車が危機に陥ったのは1949年12月のことで、時の社長は2代目豊田喜一郎氏(佐吉氏の長男)でありました。当時の三井銀行は、利三郎氏の縁戚で三井物産出身の石田退三氏を社長に据えました。資金繰りも完全に三井銀行が世話をしたようです。これによりトヨタ自動車は立ち直り、さらに躍進して今日の地位を築いています。それを見れば、たしかに旧三井銀行には恩義があることになります。
 しかしさくら銀行は、旧太陽神戸三井銀行です。現在のところ不良債権の大半が太陽神戸系の融資先からわき出ており、それに対する三井系と三井グループの反発は大きいようです。三井系の融資先で大型破綻したのは東食だけですが、東食を事実上支えられなかったのも太陽神戸系の不良債権が多すぎたためだと言われています。トヨタ自動車にとって恩義があるのは旧三井銀行に過ぎず、さくら銀行には無いのだ、とも言っているそうです。こうした感情の行き違いと、昔の恩義を口にする三井系の人間への反発が、わだかまりを生じているようです。

■ 受けた恩義と与えた恩義
 ところで本当に旧三井銀行の恩義は資金繰りだけだったのでしょうか? それだけならば確かに今となっては大した恩義とは考えられません。そこで少し話を聞いてみました。旧三井銀行名古屋支店は、当時中堅クラスの支店に過ぎず、行員も100名に満たなかったそうです。それがトヨタ自動車工業支援を打ち出した直後から新卒を含めて大幅に増員し、行員だけで150名以上、スタッフを合わせて200名以上に成ったそうです。彼らは何をしていたのでしょうか?
 彼らはひたすら自動車の割賦販売を手伝っていたのであります。自動車は高級品でした。リースや信販ローンが普及していない1950年代に車を売るには割賦しかない、と決断したのが旧三井銀行だったのです。企業に何枚もの手形を切らせ、それを確実に集金する業務を旧三井銀行のリスクで請け負ったのです。しかも手形は全額割り引いて資金を融通していましたから、トヨタ自動車は資金の心配もなく自動車を作り続ければ良かったのです。結果として割賦販売が資金繰りを円滑にし、自動車の販売台数を飛躍的に延ばしたのです。これは充分な恩義ですよね?
 4代目の社長は旧三井銀行の和歌山支店長だった中川不器男氏でした。確かに格の低い支店の支店長でした(この点についてトヨタ自動車では不満があるようですが、当時としては大抜擢でしょう)が、名古屋支店と連携を取りつつ業績を伸ばしました。1967年には佐吉氏の甥である豊田英二氏が5代目社長に就任、1981年に喜一郎氏の長男である豊田章一郎氏が6代目社長に就任しました。1982年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併し、現在に至っています。
 旧三井銀行の恩義は単に融資や社長を送り込んで再建してくれたことだけでは無いのでしょう。章一郎名誉会長は繰り返し恩義を強調されているようですから・・・。ただ、今のさくら銀行を救うということは余りにも大きな恩義を返すことになるために見送ったのではないか、と考えています。

■ そこでもう一言
 三井グループの将来はさくら銀行の双肩に掛かっています。同じグループ金融機関の三井信託銀行は持合株式の株価低迷を受けて業績が回復せず、重いリストラに喘いでいます。さくら銀行本体も厳しいリストラに取り組んでおり、とくに人員面ではアウトソーシングの強化などを打ち出しているようです。今回の増資で一息を付くのではなく、それを原資として一層の体質改善に邁進して欲しいと考えます。さくら銀行が今回増資に応じてくれた企業に対する感謝の気持ちを大事にし、日本を代表する銀行としての自覚を持って欲しいと思います。
 なお、トヨタ自動車は当初増資に応じる意向を示していました。増資に応じないことを発表したのは公的資金の導入が決まったときより後のことで、株価下落に歯止めを掛け、信用を下支えにするという点ではトヨタ自動車もさくら銀行に協力をしたことになります。公的資金の金利はさくら銀行が提示していた利回りよりも遙かに安く、さくら銀行の将来の配当負担を考えて身を引いたという好意的な見方も成立するかも知れません。一応、トヨタ自動車の名誉のために記しておきます。

99.01.05

訂 正
 石田退三氏のご縁戚の方からご指摘がありましたので、本文記事の訂正をします。
 「石田退三氏は三井物産の出身」というのは誤りで、「服部商店(繊維問屋)から豊田紡績を経て豊田自動織機に勤務。自動織機社長から豊田自動車工業(当時)の社長を兼務」であるとのことです。本文中ではいかにも銀行が送り込んだようにありますが、もともと豊田佐吉氏の知遇を得ての抜擢ということですので、この場を借りまして訂正します。
 石田氏は旧三井銀行の名古屋支店長と一悶着あった際には、すでに豊田の一員であったので、本文のストーリーはかなり事実と相違する結果になります。「月刊金融ビジネス」の記事を鵜呑みにして記述しましたことを、深くお詫びいたします。

01.07.22

補足1
 さくら銀行は住友銀行との合併を選択しました。市場ではいろいろ言われていますが、系列の概念が大幅に崩れている以上、事業会社系の統合は進まないと思われます。すでに三井物産などは系列外からの資金調達量の方が大きなウェートを占め、取引高でも系列のウェートは下がっています。
 ただし金融会社は別でしょう。これからの設備投資は、ますます巨額に成っていきます。古いシステムが使えなくなる時期も遠くなく、親密な相手が出来るのなら、それを口実にして合併することができます。これまでは系列という縛りがありましたが、これからは旧三井系と旧住友系の統合もあるでしょう。
 しかし損保ではすでに決裂し、信託銀行でも先行き不透明です。証券・投資信託もはっきりしませんし、生保では株式会社化が遅れているので目立った動きになっていません。すでに銀行の主導権が失われているという現実もありますが、2000年中に何らかの方向性が出てくることが望ましいです。

00.01.02
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