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政治の研究No.176
今こそ、立憲君主制へ(2)

 前回からの続きです。本コラムだけを読んでのご意見は、無用に願います。

 こんなことを書くと憲法学者に怒られるでしょうが、日本国憲法第一条の「この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」から解釈すると、国民の総意があるなら、国民の主権を天皇に譲渡できる(恒久的な必要はなく、期限付きでも問題なく)と思っています。永田町や霞が関の政治力学では、絶対にトップになれない人物であっても・・・真に改革を成し遂げる構想力と行動力とを持つ人物があれば、天皇に譲渡される主権を後ろ盾に、有無を言わせぬ改革を推進させることが可能です。
 ある意味で、全権委任とする必要がありますので、それは独裁官とも成ります。しかし、任期に期限を付したり、法改正他には天皇の拒否権を設けるなどセーフティネットを構築すれば、回避可能な問題です。日本の先例では、徳川幕府における「大老」が近いかと思います。平時は老中と若年寄が中心になる集団指導体制で、危機的な状況に陥ると大老を選任し、全権を委ねました(ただし、井伊家当主を据えるという特殊な要件がありました。有名な井伊直弼が最後の任を務めました)。
 また度々に共和制ローマで恐縮ですが、常任の執政官(2名)の合意で進められる国政が危機的局面に達したとき、一方の指名により独裁官の選出が可能であったそうです。執政官も独裁官の指揮下に入り、対外戦争などの危機を乗り切りました。執政官は基本的に再選禁止の任期1年、対する独裁官は再選禁止の任期半年だったそうです。半年では腰が落ち着きませんが、そういう目安です。長くても任期2年、四選禁止ぐらいが打倒でしょうか。

 権限移譲に天皇を媒介するのは煩雑に見えますが、直接に特定人物に権力を集中させた場合に較べて、その人物の独裁化を防止する効果があります。中世以降の日本国内に、統治主権を名実ともに備えた独裁者が出現しなかったのは、名目の主権を天皇が恒に握っていたためです。内閣総理大臣は実質の支配権を握り得ても、主権を奪えない限り憲法の枠組みに従わざるを得ず、独裁者と成り得ません。
 名目と実質を分けて独裁化を防止することは、諸外国でもよく採用されています。ほぼ同権の二人に権力を分散する方法も採られます。ワイマール憲法下のドイツでは、大統領に名目の支配権を与え、首相に実質の支配権を与えました。しかし、ヒトラー首相が大統領を兼ねて「総統」を称し、独裁化が始まりました。両者の兼任禁止が法制度化されていなかったことが失敗だそうです。また現在のロシアでは、大統領が首相を承認し、そして首相に対し広範な拒否権を有することで独裁化の歯止めを掛けています。
 天皇自身が非常大権で政治を見ることになると、「天皇親政」の名の下に独裁政治になります(古い話ですが、天武王朝の時代に絶対王政の時代がありました。日本史の研究第8回を参照)。現実には太政官以下の文官が政治を牛耳ることになり、密室政治や情実政治を生む懸念があります。したがって、天皇は名目に徹し、その信任を受けた人物が行政を行うべきと考えます。また憲法が機能する限り、「独裁化」の懸念は払拭可能です。また一定の枠内で国会を機能させることで、通常問題は処理できるでしょう。緊急問題の決断権についてのみ、国会から取り上げれば済みます。

 天皇主権に戻すと言っても、戦前の水準に戻すわけではありません。真の主権は国民にあり、国民の総意が変われば、天皇主権は無効になります。立憲君主国として大先輩の英国を見習い、国民の総意に応える君主を戴くシステムにすれば良いのです。不出来な君主なら追放し、より適任な君主を迎えれば良いのですから。また、大日本国帝国憲法の第三条にある「天皇は神聖にして侵すべからず」は、無用です。太平洋戦争は、この神聖不可侵を悪用した財閥と軍部により遂行されて、完全に暴走しました。同じ失敗を、繰り返すわけに行きません。
 あくまで「形式的な主権を天皇に預ける」というイメージです。しかし、単なる委任でなく、明確な譲渡であり、当面において絶対的な権限を集約することに意味があります。国会は立法府として、内閣は行政府として、裁判所は司法府として機能しますが、不特定多数の有権者相手ではなく、有権者の主権を集約し実体化した天皇を相手に責任を負い、より厳格で忠実に機能することを強いられます。これによって、無用な権力闘争を排除し、無益な長談義を排斥し、国家改革に一路邁進することが可能になるでしょう。

 いずれ有権者も政治家も意識が変わり、再び国民主権によって国家運営が可能な時期が来れば、再び天皇を「単なる象徴」の地位に戻すことも、国民の総意で可能です。しかし、それは天皇が君主であるかどうかに直接関係がなく、天皇を君主の地位においても可能であるはずです。いつか同じ袋小路に行き当たっても、何とか状況を打開できるように、国民の総意によってコントロール可能なレベルに立憲君主制を確立すべきでしょう。良い手本が英国にある以上は、不可能な話でありません。
 今こそ、立憲君主制の実現を考えるべき、と思います。

03.02.23
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