前頁へ  ホームへ  次頁へ
政治の研究No.173
議員の抱負 と 選挙公約

 議員選挙になると、その議員候補は「選挙公約」をバラまきます。思わず首を傾げるような公約、吹き出してしまう公約も見掛けます。その原因は色々ですが、相矛盾するもの、県政や国政レベルに相応しくないもの、公約がなく夢や抱負を並べたもの、色々とあります。中でも、夢や抱負の羅列に終始しているものが、罪は大きいと思います。
 「ふれあいある町作りを実現します」や「明るい国造りを目指します」というものは、どう考えても選挙公約と呼べません。「・・に全力を尽くします」というものは、ある意味で公約です。しかし、実現に全力を尽くすのは当たり前であり、実現でなく努力を約するものに意味はありません。公約は、基本的に一期の在任中に実現できそうなもので、目に見えて結果が分かるものであるべきです。裏返せば、結果を示せないものは公約に成りません。

 この「公約」を「抱負」と勘違いすると、大変な話になります。議員当選後に、「あれは、努力目標だ」とか、「これから勉強していきます」とか、「党の方針に合わないので・・」とか、反古にする人が目立ちます。新人議員はともかく、ベテラン議員ほどに平気で反古にします。公約未達であれば、次期選挙を待たずに辞職すべきですが、その厳しさが分かっていません。甘い有権者にも問題はあるのですがね。
 かといって、「抱負」も大事です。「公約」が短期的なビジョンであるとすると、「抱負」は長期的なビジョンです。「毎日、早起きして、顔を洗います」というのは、抱負にも成りません。政治家としての基本理念、そして達成目標としての方向性、とも言えます。「抱負」が議員生命を賭ける戦略であるとすると、「公約」の一つ一つが戦略達成のための戦術とも言えます。
 公約実現の一つ一つが、議員としての経験と実績の積み重ねを生み、一歩一歩と抱負実現へ近づく過程になるはずです。一つの公約、一つの抱負が達成されれば、さらに難しい公約や抱負へと繋がります。惰性だけで、議員生活を送るようでは、用無しでしょう。

 ところで今、民間では厳しい成績評価が導入されています。最初に自己目標を立て、その達成度に応じて給与や処遇が決まり、未達なら降格・解雇まであります。その目標は、具体性を求められるとともに、数値目標も盛り込むことを義務づけられます。第一に、「努力します」や「全力を尽くします」や「実現を目指します」は、言葉を使うだけでマイナス評価。第二に、数値目標も概算数字でなく、根拠ある積み上げ数字。第三に、成約目標も相手先名や達成項目数なども明記。第四に、達成度に対する評価基準や指標も自ら提示します。
 自己目標の確定までには、上司や同僚との打ち合わせがあり、甘い目標を立てることは許されません。低めの目標を出せば、さらにノルマを上乗せさせられることもあります。かといって、高めの目標を出せば自滅するだけです。目標に対する給与等の報酬を低く設定すれば、上司は喜ぶでしょうが、同僚からは嘲笑わられるだけです。能力に合った目標と、その目標に応じた正当な報酬をアピールできない人間は、クズだとも言われます。
 そして、四半期または半期ごとに、自己目標の評価が必要になります。まず精緻に分析して報告書を作成し、これを上司が査定します。あるいは、同僚や部下からの相互チェックを受けることもあります。ミーティング形式にして、自己評価を「発表」させる企業もあります。甘い自己評価には非難囂々ですし、厳しい自己評価をしても相応の冷遇しか得られないシビアさです。歴史的な積み重ねがないだけ、欧米よりも厳しいという声があります。

 そうした中で、議員先生が「抱負」だけで選挙に出馬したり、とても甘い「選挙公約」さえも達成しなかったり、そもそも「抱負」も「選挙公約」も反古にしたり、が許容されなくなるのは時間の問題です。官僚も結構いい加減ですが、近頃は成績評価の導入が進むそうです。民間では主流化しつつある年功序列の廃止、能力主義の導入も遅れていますが。そうなれば、政界にも厳しく冷たい逆風が吹き荒れるでしょうか・・。
 さて、国政の頂点に立つ小泉首相は、いくつもの「選挙公約」を反古にしたとの批判がしきりです。公約しなければと思うことまでも公約し、それをチャッカリ果たしません。パフォーマンス政治はこれから増えるでしょうが、空振りばかりでは支持を失うだけです。かつてIT企業が見せたように、支持と信認を失えば、転落は時間の問題です。引退への花道に、「選挙公約ガイドライン」でも出されてみては、いかがでしょう。

03.02.09

補足1
 統一地方選挙や衆議院補選などが続いています。しかし、選挙運動のスタイルは、旧来の手法のままという印象を受けます。候補名の連呼、とにかく選挙区を巡っているというアピール、に尽きます。広報誌などには、もっともらしい選挙公約を載せていたりもしますが・・・こうして活字になっても大部分の過程では「ゴミ箱行き」です。次回の選挙まで、その公約を憶えている有権者は居ないという油断が感じられます。現職なら、今期の実績を堂々と載せても良さそうですが、これは公選法違反でしたっけ・・?
 近頃は、元気を増しているNGO。地方選挙の候補者の推薦者に名を連ねるなど始めています。そして同時に、自分たちの推薦する候補の公約チェックをすると公言している団体もあります。また、候補推薦と関係なく、公約の達成度をウェブ等で公開する運動を始めている団体もあるようです。これを妨害するのが、個人情報保護法案。一見すると、国民の情報保護かと思われますが・・・これが「政治家の探られたくない腹を探らせない法律」なのですから、呆れます。手を代え、品を代え・・・おそらく今年は立法化されそうです。

 政治家の批判ができない世の中では・・・政治は腐敗する一方でありました。人類の歴史で既に定理ともいうべきことを、再び冒そうとする日本政治は、すでに重病です。

03.04.27
前頁へ  ホームへ  次頁へ