前頁へ  ホームへ  次頁へ
政治の研究No.168
あ お ぞ ら 国 会

 昭和四十年代だったと思いますが。「国会議員が立派な議事堂に集うのは、自分たちの権威の不足を補うためだ」と言われた、大先生が居たそうです。重厚な石造りの議事堂は、今でこそ高層ビルに囲まれていますが、威風堂々とした立派な建築物です。旧式めいた重圧感のある議場の中で、日本の明るい未来を議論されるのは大変なことでしょう。どうしても重苦しい議論になるのでは・・?
 国会での議事進行の様子は、国会中継で伺えます。委員会の様子などもTVや新聞が報道してくれますが、報道されない部分が結構あるそうです。個室で密談したり、廊下やトイレや議員会館でヒソヒソ・コソコソ。未だに密室政治だの派閥政治だのが囁かれます。国会も一層オープンになることが、宜しいのではないでしょうか。

 宝島社が見開きカラー刷りで面白い広告を載せていました。私が見つけたのは、今年7月16日の日本経済新聞朝刊ですが、他の新聞にも掲載されたでしょう。曰く「国会議事堂は、解体。」とあり、「第155回通常国会」と大書きされたテントと、パイプ椅子に座る議員諸君、仰々しい議長席・演壇とマイク、などが実写で再現されています。先生方は欠席していたり、居眠りしていたり・・・随分と手の込んだ実写広告です。一見の価値あり!!
 実際のところ、私がイメージしていたのとは違うのですが、その大胆な構図が笑いを誘います。「国会はどこか適当な広場で開催」、「暑かろうが寒かろうが、雨が降ろうが雪が降ろうがしっかりとやりぬける体力と気力が必要」、「ダラダラとやっていたらあっという前に真っ暗になってしまう。従って議事の進行も極めてスピーディになる」、「オープンなスペースなので、一般国民の見学も自由。一般国民からのヤジも自由」、「いっそ日本中の広場を巡回する「ツアー国会」にしてもよい」などと小気味いいです。

 それはさておき、やはり国会議員も一人の国民であることは自明です。増税や減税の議論が盛んでしたが、果たして、ご自身にも影響のある問題という認識があったでしょうか。国会議員は選良でありますが、選んだのは神ではなく、有権者たる国民です。国民の立場でモノを考えなくては、国会議員の存在価値を問われるでしょう。
 「あおぞら国会」は、要するに国会議事堂を出れば、それで足ります。街中の広場でやれとは言いませんが、もう少しオープンな空間でこそ、国会の議場の意義があるのではないでしょうか。日々の移動に黒塗りの車しか使わず、新幹線はグリーン、飛行機はファーストクラス・・では国民に出会うことも、その生活の空気に触れることもありません。難しい書籍を読み、お堅いTV番組しか観なければ・・国民との意識も開く一方です。食事も医療も平均的な国民並みでなくては、その苦労も分からないというものです。

 例えば神宮球場で、グラウンドで国会を開催されてみては、いかがでしょうか。大勢の国民に取り囲まれて、その国民のための政治を論じることです。納税者たる国民を目の前にして、特殊法人の存続だ、道路公団民営化に反対だ、生保予定利率の引き下げだ、健保の自己負担アップだ、なんて議論をできますか? 個人投資家よりも機関投資家を救うべき、中小企業を潰しても大手銀行は救済すべき、オラが村にも赤字高速道路を造るべきだ、なんて議論をする勇気ある先生は何人居られるでしょうか?
 どれだけ国民世論が騒いでも、その世論に耳を傾けない先生方が大勢ありますね。国会議事堂の壁や天井が邪魔をしているのなら、それを全部取り払ってから、「あおぞら国会」を是非開催して頂きたいと思います。日本政府は、「主権者にして有権者たる国民さま」の所有物です。国民を目の前にして、自ら恥じることなく論じられる内容に限定して、広い青空の下で議論していただけることを・・心より願っています。

02.12.22
前頁へ  ホームへ  次頁へ