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雑記帳No.218
ファインダー越し

 少し季節を外しましたが、体育会や文化祭シーズンには、数多くのデジタルビデオカメラが出動するのを見掛けます。撮影はお父さんの担当であることが多いようで、子供の出演中ずっと撮影に専念されている姿を見掛けます。無事にカメラに映ったならば、夜は撮影会にでもなるのでしょうが・・。

 近頃のデジタル撮影技術の向上は、臨場感あふれる映像を提供してくれるように成りました。古くの8ミリカメラと比べると、格段の違いがあります。しかし、所詮は平面映像です。プロカメラマンの撮影したTV映像でさえ、オンサイトで眺める生映像には叶いません。まして、アマチュアパパの撮影した映像は・・・。
 子供の成長記録として残したい、という気持ちは分かるつもりです。でも、私が子供立場なら、やはり家族には生映像で見て欲しいです。カメラマン役のお父さんが、小さい液晶パネルを覗いているだけなのは・・かなり寂しいです。ビデオ操作に専念するあまり、応援をしてくれない。ピアノ発表会なのに、音楽を聴いてくれない。バレー発表会なのに舞台をみてくれない。。。
 グラウンドの土の臭い、ホール独特の静寂さ、立体感のあるミュージック、生映像にはいくつもの要素が絡み合って、格別の感銘を与えます。我々の五感が捉える情報は、リアルタイムで補正や処理がなされてベストモードで鑑賞することができます。印象的なシーンの感動は力強く記憶し、退屈なシーンはカットされます。ビデオカメラがその働きをしてくれるとは思えません。

 得てして、ビデオカメラ好きのお父さんは、知人を家に呼んではビデオを見せてくれます。様々なエフェクトを駆使し、テロップも入れても自慢作を見せてくれますが、結局はソースである子供の存在が薄くなり、印象も希薄になります。「こんな退屈なビデオだけど、生映像だったらもっとマシなのだろうなぁ」と思いつつ、お付き合いしたりします。
 子供が大きくなって、これら作品群を見ることは、まず無いでしょう。歳を取ったお父さんが、いつか自己満足の塊を眺め直すことはありそうですが、それまでにデジタルビデオに飽きていたら、やはりそのまま捨てられるのでしょうか。それならば、せっかく現地へ出かけておきながら、ファインダー越しで子供を「作品」として撮影するのは止めて見ませんか?

 子供の成長記録は、ビデオカメラに収めなくてはならない。そんな強迫観念は、カメラ屋さんと電機会社さんの陰謀であるような気がします。いつもいつも子供をファインダー越しで見ていると、本当の子供の姿が見えなくなりますよ。子供を公園に連れ出して・・芝居臭い作品を収めたところで、それはファインダー越しに見える子供を見ているに過ぎなくなります。
 どうか自分の眼で、子供の本物の生映像を記憶されることをお奨めします。

02.11.24
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