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雑記帳No.213
歩いて巡る、沖縄グスクの旅(1)

 8月上旬に5日間、沖縄へ出かけてきました。昨年取りはぐれた夏季休暇を、今年は無事に取りました! というわけで、ご報告なのです。

 沖縄の首里城ほか8史跡が、2000年12月に世界遺産へ登録されたのは、ご存じですよね。首里は、最近再建されたばかりですので、実際は石垣遺構のみ登録されています。新築の正殿ほかは歴史的価値が薄いのです。しかし、観光客にはどっちでも良いようです。他には、今帰仁・座喜味・勝連・中城の4城も登録されています。いずれも城壁の石積みを復元中であり、建屋は復元されていません(あまり資料がないのも理由です)。
 これらの諸城は、戦前まで原形を留めていたモノが多かったのですが、戦中に日本軍の陣地とされるなどし、沖縄戦で多くを米軍によって破壊されました。さらに戦後復興の過程で、城壁の石が建材に流用されたり、中国などに売られたり、したそうです。したがって、復元作業では・・石を切り出す作業から始めています。

 表題の「グスク」とは、これら城のことです。正しくは、「城」と書いて「グスク」と読みます(「グシク」と呼ぶモノもあります)。「玉城」「宮城」は、「タマグスク」「ミヤグスク」と読まれます。沖縄の地名には「城」の付く名前が多く、「久志」「具志」などにも通じるようです。現在、遺構が確認されたものだけでも100近くあり、ある説では本島だけで250、奄美・沖縄一帯で300に達すると云います。手つかずの遺構が多々あり、調査が待たれます。近頃のグスクブームも、一役買っているようですが。
 沖縄王朝の歴史は、源為朝による全島統一の伝説に始まり、英祖王の時代、その後の小領主割拠の時代(グスク時代)、北山・中山・南山に領主グループができた三山時代を経て、尚巴志による三山統一がありました。その後に、尚氏王朝が興り、幕末まで王朝は続きました(王統は一度代わっています)。

 グスク時代や三山時代のものが中心ですが、実際のところ、300もの「城」があったとは考えにくいです。かつて「間切(まぎり)」という地域単位に、「按司(あじ)」という長があったとされます。間切の数だけ「城」があったとしても30余りですし、グスク時代の小領主制を割り引いても、250は大きすぎる数字です。神殿や墓として機能していたらしいグスクもあり、「城」としてのグスクはもっと少ないようです。

 今回は、城として史跡扱いになっているグスクを、24ほど巡ってみました。とりあえず、次回へ続きます。

02.08.25
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