「人生は重い荷を背負いて坂道を登るような・・」云々などとスピーチをされる方があります。最初に言い出したのは、徳川家康なんですか、違うんですか? よく分かりませんけど。しかし、家康が言いだしたのであれば・・三河武士団を背負いつつ、天下制覇を実現した彼には、相応しい気もします。我々庶民が「重い荷」と表現するのは、いささかオーバーだと思いますね。
では、我々はどうなのか。たぶんエスカレーターを登っているのだと思います。一応は、落下防止の手すりが付いて、緩やかですが上へ上へと運んでくれるエスカレーターでしょう。中には、ちょっとしたキッカケで故障したり、逆走したり。貧血を起こしたり、暴れすぎたりして転倒したり、転落したり。しかし、大人しく流れに身を任せていれば、黙っていても上層階へ運んでくれます。
それでも、人生に転機は付き物です。小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学、大学から就職、そして結婚・・。ときには直行コースもありますが、その節目節目で旧いエスカレーターを降りて、新しいそれに乗り換えるのでしょうね。より良い路線を選べるかどうかは、日々の努力と、ちょっとしたタイミング。とくに学生時代のエスカレーターは、速度遵守、駆け上がり禁止ですから、早さよりも質が大事と言うことになりますね。
落ち着いて考えてみると、我々が日々登っているエスカレーターは、一本でない気がします。基幹としての太い一本はあるにしても、趣味やスポーツ・習い事などのそれぞれにエスカレーター(あるいは階段)があって、それらを登っている自分にも気づきます。喩えてみれば、それぞれのエスカレーターには、セーブ機能があって、会社に出てくれば会社の、家に帰れば家の、プライベートではプライベートの、それぞれのエスカレーターに乗り換えているという感じでしょうかねぇ・・。
登りやすい物があり、短い物もあり、駆け上がれる場合もあるでしょうが、当然にその反対のエスカレーターもあるはずです。どれかに時間を掛けすぎると、別のエスカレーターに乗り遅れたり、乗れなくなったり・・。いろいろと苦労を重ねるのが人生というものでしょうか。
世間では、年功序列型への批判が強まっています。かつてなら順番を待ちさえすれば、その先に誰ものハッピーがありました。どんなに有能でも無能でも、等しくハッピーを得られるチャンスがありました。しかし不況が吹き荒れ、能力主義型・成果主義型という題目が押し出される社会では、他人を押しのけて、時には蹴落として、エスカレーターを登ろうとする人達が増えることでしょう。長い間、年功序列型に不満を持ちながらも、身をすり減らした人達は、そうしたルール変更に強い抵抗を示すでしょうか。
だとしても・・やはりエスカレーターを駆け上っては危険です。誰もが片側を開けて追い越しを許してくれる秩序があれば良いですが、我先に駆け上ろうとする混沌では・・無理をせず着実に登っていくことが必要だと思います。そして、危ないエスカレーターに乗ってしまったときは、ちょっと別のエスカレーターに移ってみても良いかも知れませんよ。。。
すてっぷ・ばい・すてっぷ。こんな時代だからこそ、一歩ずつ着実に自分のステップを登って行きましょうよ。
02.02.23
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