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雑記帳No.165
自分は狂っているのか?

 故・星新一氏は、「ショート・ショートの神様」と呼ばれていました。ショートストーリー(短編)よりも短い「ショート・ショート・ストーリー」を語源とする、ショートショートです。短いだけでなくオチがあることも条件と言われています。アッと驚かせるのは難しくとも、ニヤッとさせれば十分であるようです。

 一頃は、筒井康隆氏や小松左京氏ら数多くのSF作家も書かれていたようですが、星氏の作品数は半端でありません。有名なところで「N氏の遊園地」「ボッコちゃん」「声の網」「盗賊会社」「ノックの音が」等々の作品群が挙げられます。エッセイ以外の長編は、1冊か2冊だったと記憶しています。ほとんどがショート・ショートだったのです。学生らから作品を募って、毎年「ショート・ショートの広場」という作品集も発刊されていました。
 作品数は多いですが、当然に駄作も含まれます。また黄金のパターンもあり、先の読める作品もあります。しかし、多くは読者を唸らせる「奇抜な発想」に満ちあふれています。中学時代、ポン太も多くを学ばせて頂きました。今回は、その作品群の一つを使わせて頂こうと思ったのですが、蔵書を漁っても原典が発見できていません。失礼を承知で、いい加減な記憶のまま、N氏(ある男という意味。ショートなので、名前を付けるだけ面倒だ)の話を書きます。

 N氏の周囲で、鬱症状を示す人々が急速に増えていた。これまで陽気に話をしていた人でも、決まって電話が掛かってき、その直後から極端に落ち込んでしまうのだった。何か深刻なメッセージが、電話で伝えられているのに違いない。しかし、自分には伝えて貰えない。怖いモノ見たさと言うような、好奇心と孤立感を持ち始めた、N氏。
 どんな親しい人物でも、その電話の中身を教えてくれない。焦燥感に駆り立てられたN氏は、ついにチャンスを手に入れた。ある店先で、例の電話が掛かってきたのだ。奪い取って受話器を当てたN氏の耳に・・「貴方は、狂っている」と言って切れる。。。

 という、ストーリーだったと思います。ショート・ショートは、解説のような部分が無いので、N氏の行動は読者の想像に委ねられます。おそらく、彼もまた激しい落胆に、見舞われるのでありましょう。誰が、何のために、という詮索も無益です。ショートな作品に、プロットのリアリティを求めてみても、虚しいだけです。

 しかし、敢えて述べるとしましょう。何故、N氏の周囲の人々は「私は、狂ってなどいない。バカにするな!」と一喝する人が居ないのでしょうか? 登場しないだけで居たのかも知れませんが、多数居たのなら悪戯電話が社会問題になっても可笑しくないです。むしろ、大多数の人間は、反論できなかったのでは無いでしょうか。
 N氏の立場は、つまり読者である我々です。星氏は、貴方ならどうするかというボールを投げて寄越したと考えます。話題のベストセラー本を買ってみて、登場人物のS氏が自分にそっくりだと感じたと仮定して、後書きに「S氏は典型的な狂人である」と書かれていたようなモノです。それが作者の偏見を含むモノであっても、我々は大いに落ち込むのでは、無かろうかと思います。強く反論することはできるでしょうか?

 我々は、「自分が狂っていない」ことを知っています。しかし、それは思いこんでいるというレベルに過ぎません。親兄弟や友人知人が言うからというのでは、主観的な意見に過ぎず、あるいは同情から本心を語っていないだけかも知れないのです。逆もまた真ですが。「自分は狂っている」と知っている人は、案外に狂っていないモノなのです。本当の狂人は、自分が狂人であることを知らないのですから。
 ある意味で我々は、「自分が狂っているかどうかを、お互いに探り合っている」と思います。誰かが狂人狩りを始めたら、自分は狩る方だろうか、狩られる方だろうか・・? そういう不安を深層心理で持っていると思います。だからこそ、断言しても良いと思います。我々の10中8,9がN氏の立場であったら、無言で鬱ぎ込むでありましょう。残る1,2は、余程の自信家か、本当の狂人であるはずです。
 私は、大声で「自分は狂っていない」と宣言できません。宣言する行為が、狂っている証拠であると思うからです。読者の皆様は、いかがでしょうか?

01.05.05
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