ポン太は、ひらがなが好きです。
とかく難しい漢字を使うのが好きですが、ひらがなは独特の味があります。漢字で書くべき言葉、カタカナで表現される外来語(いんたぁねっと、みうじかる、などなど)、こんなものをひらがなで書くと結構楽しいです。
だから漢字やカタカナの使用はおざなりですが、ひらがなの場合は厳密に言葉を選んでいるつもりなのです。例えば「〜すればいいな」と表現すべきところを「〜すればいいなぁ」と書いていますが、「〜すればいいなあ」や「〜すればいいなァ」ではニュアンスが少し違ってしまうでしょう。え〜、同じですか?
アルファベット、漢字、カタカナ、そのベースは直線です。曲線も機能美と言いますか、隙のない曲線で味がありません。しかしひらがなには独特の味があります。そして最近知った事実は、「ひ」や「ろ」は一画だと思っていたのですが、実は複数画なのです。ひらがなは奥が深いですね。
ポン太の好きなひらがなは「あ」「ひ」「み」の三つです。何となく不安定なバランスが隙なのです。
そこで、ひらがなの効能を研究するのが、今回のお題。
ひらがなが開発されたのは平安時代初期。漢字の草体が崩れた草かながさらに崩れたものです。当初は女性が用いたので女手とも女文字とも呼ばれていました。女性が用いたのは、ひらがな独特の嫋やかさからでしょうか。紀貫之が女文字で女性に成りきって土佐日記を残していますが、その真意はどうだったのでしょうか。いずれにせよ、長い間、ひらがなは女性が独占してきました。その制約が外れたのは、実に明治時代に現在の42文字に整理したひらがなを一般教育に採用したときでした。
男性が積極的にひらがなを使わなかった理由は何でしょうか。カタカナが毛筆に適していたとは思えません。おそらく弱々しさとか、軟弱さとか、そういうイメージがあったのではないでしょうか。逆に言えば、女性的な暖かさや優しさが感じられたということではないでしょうか。
私がひらがなを使用して心休まる理由は、その暖かさや優しさを感じるからかも知れません。読者の皆様が、同じように感じられるかどうかは別です。ポン太個人としては、日記やエッセイ調の記事ではひらがなを多用し、レポートや解説調の記事では漢字を多用しているつもりです。とはいえ「嫋やか(たおやか)」なんて言葉を本文で使っていますが・・・。実は小難しい漢字も好きなのです。
ところで、ポン太の職場にはひらがなメールを寄越す友人Mがいます。もちろん文才があってということもありますが、これが結構面白いのです。文才のないポン太が書くと全く意味不明になりますが、皆様も一度実験をされてみることをお薦めします。大受けすること間違いなしです。友人との間で心が通い合うメール交換が進むことと思います。
電子メールは手軽に書ける反面、厳しい言葉がそのまま使われてしまいがちです。どこかのページで書いたと思いますが、通常封書郵便を出すのであれば、文案を練り、下書き文を作り、清書文を作り、封筒に収める前に読み返し、ポストに入れるまで反芻します。数度のチェックが入るわけです。電子メールはボタン一発で送信できますから、どうしてもチェックが働きません。手軽に使えるだけ、一時の感情に任せて書いてしまうこともあります。また読み手も落ち着いて読まないことがあり、ざっとを目を通した印象で返信メールを書いたりします。どうしてもきつい表現のメールにはきつい返答をしてしまいがちです。掲示板への書き込みもそうですね。掲示板は管理者以外消去できない問題もあって、一層問題を増幅してしまいます。
そこで、ひらがなメールをお薦めします。書き手は読み手の心配をしながら誤解のない読み方で書きますし、むずかしい言葉は使えないので平易な文章を書くことになります。読み手もざっと目を通すのは大変なので一語ずつ文字変換しながら文章を読むことになります。その結果、どちらも丁寧に文章を読むことになりますので、深い意志疎通を図ることが可能でしょう。もちろん書き手は何度も読み直してチェックすることが必要ですが。ひらがなには上記の暖かさや優しさ、それに親しみを伝えるので、一般の電子メールのように感情的には成らないと思います。
98.08.14
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