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震災日記No.02
震災日記(2:予兆)
〜 あんなこと、こんなことが 〜

 大事な人が死んでみると、そこに何らかの予兆が見いだせるものらしい。それを4つほど記したい。

 震災の前年。1994年11月22日に父親が上京してきた。浅草で開催される切手趣味展に出品した自分の展示を観て、長年お世話になった郵趣関係の団体三カ所に挨拶周りをした。私の職場と自宅を視察することも、目的だった。浅草寺の仲見世で父親と食べたちらし寿司、アメ横で食べたチャーシュー麺の味が懐かしい。翌23日は、柴又帝釈天と矢切の渡しへ連れていき、夕方上野公園を案内した。シカン展という古代遺跡展に、父親を付き合わせた。父親は展示を丹念に眺めていたので、客でごった返す会場内ではぐれた。私は出口で待ち受けたものの、待てど暮らせど・・父親は出てこぬうち閉館になった。一本通路であったからと首を傾げつつ出てくると、外では父親が待ちくたびれていた。お互いに見逃すはずがないのに、出会わなかったのである。死期が近づくと人の影は薄くなるというが・・・

 帰省中の同年12月28日。妹が新しく始めたバイト先であるマクドナルドの京町筋店へ出掛けた。妹がレジを打っていたので並んでいると、目の前の客が終わったところで、ウエイト客へ何かを届けるためにカウンターを離れた。この店は4階建てなので、レジを離れて妹の跡を追ったのだが、どのフロアでも見つけられない。ちなみに1フロア30席程度である。やはり首を傾げつつ2階まで降りてくると妹に声を掛けられた。妹にはこちらが見えていたそうだが、私には見つけられなかった。父親の件もあったので、何となく気味が悪かった。

 年が明けて、1月1日。神戸三社の一つである長田神社では、姉と妹が巫女のバイトをしていた。これを観るために、少年団の面々と初詣をした。翌2日も二人はバイトで、父親の運転で、母と私は母親の実家である飾磨(姫路市飾磨区)へ出向いた。その途上、高速道路を走行中に車が異常を警告し始め、飾磨に近いICを降りた直後に車はエンストして停止した。
 バッテリーが上がったらしく、エンジンが掛からない。父親がハンドルを握り、母親と私で車を押して運んだ。毎日父親が配達に使う車であり、この日に限っての異常が新年早々で薄気味悪かった。結局はスタンドで死にかけのバッテリを強制充電し、ブレーキを踏まないようにと言う店員の忠告に従い、母親を祖母宅に残して父親と帰宅した。
 幸いにもエンストすることなく1時間近いドライブを楽しみ、車を職場の駐車場に残して電車で飾磨に戻った。思えば父親と最後のドライブをし、愚にも付かない会話を楽しむ最後の機会を持った。

 1月4日。この日は出勤日だったが、年次休暇を使い移動日に宛てた。この日以降、再びマクドナルドのバイトに戻った妹と、三ノ宮まで行動を共にした。この朝、父や私の影響を受けて「さだまさし」ファンになっていた妹が、大事にしていたエッセイ集や資料の記録を、無理矢理私に押しつけた。大事なコレクションを灰にしたくなかったのか、いつにも見ない強引さであった。家を出るとき、母が見送りに出た。東京に戻るときのいつもの決まり事だった。妹とは、三ノ宮のセンタービル東館前で手を振って分かれた。これが最後となった。

 単なる偶然で片づけることは容易だ。が、今思うに、何かが起こるような予感がしたのである。

98.06.28
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