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政治の研究No.161
若者は、無気力なのか

 「近頃の若者は、元気がない。無気力だ」などとオヂサンは言います。付き合いが悪い、残業をしない、愛社精神がない、何かに打ち込む姿勢がない・・云々。年寄り共は、勝手なことを言います。中年化が進んできたポン太は、オヂサンの主張に賛同するところもあるのですが、とりあえず価値観の違いということで、誤魔化しています。
 一言許されるなら、オヂサンこそ元気がない、無気力だと言いたいです。リストラに怯え、ローンに負われ、汲々と現状にしがみつくオヂサンは、若者を批判する資格が無いはずです。愛社精神には疑問がありますし、彼らの付き合いに意義が見いだせないことが多いです。さて、本当に若者は無気力なのでしょうか。

 ちょうど、今の時期。ワールドカップであります。日本が共催国であり、日本で試合が繰り広げられることも理由でしょうが、国を挙げてのサッカー熱です。このところ、プロサッカーに元気がなかったので、心配もしたのですが。なかなかオーバーヒートしています。オヂサンは・・ビールを片手に観戦ですが、これは無気力極まりない。直接会場に乗り込んで、応援してきてはいかがでしょう。時間と金が無いですか・・仕方が無いですね。
 若者の中には、長期休暇を取って観戦に出かける熱心なサポーターが評判です。ポン太の周囲にも数人いますので、全国ではかなりの人数に達するでしょう。中には、休暇が認められず退職した若者もあるとか。その判断の適否はともかく、人生を賭ける点でオヂサンよりも勇気があります。元気であります。

 また、とある女性アイドルグループのコンサート。会場では、割れんばかりの歓声が上がり、ホール全体が揺れ動く錯覚に捕らわれるほど、激しいファンの声援がありました。彼女らが歌い始めれば、それに合わせて踊る叫ぶ・・派手な法被に鉢巻き、ペンライトなどの小道具を振り回す。二度目の体験ながら、その迫力に度肝を抜かれました。あらゆるツテを利用して、希少なチケットを集める彼ら。何公演にも詰めかけて、あらん限りの時間・カネ・体力を注ぎ込んでいました。
 一頃の、野球ブームにて、オヂサンたちが野球場で騒いでいたイメージがダブりました。その元気さは、当時のオヂサンを数倍上回ることでしょう。先述のサッカー熱にしても、問題化しているフーリガンが、日本の若者にも増えているそうです。ストレス発散が目的なのか、日頃は無気力と見られる彼らが、暴徒と化して暴れ回ります。やはり、無気力は当たらないでしょう。その情熱のベクトルが、仕事に向いていないだけなのです。

 高度成長やバブルの時代、あらゆる娯楽を抑制し、仕事に情熱をぶつけてきたオヂサンたち。彼らの常識では、全ての情熱を仕事に捧げるのが普通なのでしょう。しかし、その仕事の成果は自らを潤したでしょうか。いいえ、体をすり減らしただけのはずです。何某かの成果を得た人もあるでしょうが、会社に搾取されただけ、というのが本当ではないでしょうか。
 今の若者は、自分の興味がある世界に情熱を捧げています。本来は仕事にも、報酬に見合うだけの情熱を注ぐべきでしょうが、注ぎ足りない人も多いでしょうか。注ぎ足りないなら、注がせる努力をオヂサンがするべし。間違っても、報酬以上の成果を求めてはいけません。彼らには、年功序列も終身雇用も年金支給も期待できないのでしょうから。せめて、自身の楽しみに使う時間とカネを制限することなく、人生を謳歌させてあげましょう。

 それなりに大人の分別がつき、十分に遊び倒したなら・・新たなオヂサン世代となる彼らも、ジャパニーズ・ビジネスマンとして、日本経済を担ってくれると信じます。どうか今のオヂサンは、説教もほどほどに、「俺たちもアングラだった時代があるんだよ」なんて話をしてあげましょう。彼らのパワーが、ベクトルとして誤り危険であれば、ささやかな軌道修正を施して、より有益な方向に向けてあげましょう。
 若者の元気なパワーを目の当たりにし、少し安心した今日この頃です。

02.06.08
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