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政治の研究No.85
デモ隊と、右翼団体と

 今期国会は「真空総理」が大活躍でした。師と仰いだ竹下元首相が政界不在のまま、約1年間の奮闘の成果が実りつつあります。繰り返しになりますが、とにかく重要法案が数多く衆院通過、もしくは成立しました。中には昨年来、3年来、あるいは10年来という懸案法案も片づけるという偉大な成果であります。
 その一見豪腕にも見える手腕は、結局のところ、多数の政治家の同意が得られる法案だけを中心に通してきたという理由に過ぎない、との指摘があります。つまり選挙で票の稼げそうな法案と、米国に阿る法案ですね。票を減らしかねない年金や医療、財政問題などは、凍結など先送りになっています。いずれ矛盾が吹き出すことでしょう。

 それはともかく、最近永田町や霞ヶ関へ押し寄せるデモ隊は、途絶えるように見えません。ガイドライン法案や国歌国旗法案に反対の意を表明する、全国各地のデモ隊のようです。我が国では「公共の福祉に反しない限り」行動の自由と表現の自由が保障されています。どのような主張をするデモであっても、為されるのは構いません。
 デモを掛ける場合は、警察当局へ日時・場所・規模などを届け出るルールに成っていますが、このルールを守らない存在があります。右翼団体の街宣車ですね。街宣車は日常は1,2台で、多いときには20台近く集結することがありますが・・・何故か警察当局による制止等はありません。彼らの行動が公共の福祉に違反していないとは思えませんが、事実上の野放し、あるいは放任であります。

 ガイドライン法案や国歌国旗法案と言えば、かねてから右翼団体が求めてきた軍国主義復活への一里塚です。別に両法案が軍国主義へ直結するものではありませんが、ある意味で近づいてしまうのは当然のことです。このため左翼系の労働団体などは反対のデモを仕掛け、右翼系の諸団体は賛成のアピールを仕掛けている五十年一日の構図が保たれています。
 警察当局は、左翼系のデモにはルール遵守を徹底させ、警備を装っての管理・干渉を行っています。一般市民を守るためには必要なことでありますが、かつてほどデモの勢いは失われ気味で、干渉しすぎている感はあります。一方で、右翼団体のデモは放任主義で良いのでしょうか。警察当局の説明によれば、彼らの行動はビデオに収めてから然るべき処置を講じているとのことですが、街宣車が没収された逮捕者が出たなどと聞きませんね。

 右翼団体はよく分からない存在です。街宣車を乗り回し、スピーカーでがなり立て、怪しいポスターを貼って回るような活動で、人件費も含めて必要な莫大な費用を掛けています。しかし暴力団や総会屋が隠れ蓑に使うエセ右翼を除くと、彼らの資金源はナゾです。シンパからの援助金という話ですが、世の中にシンパが多いようにも思えません。政財界から出ているのでしょうか。
 右翼団体の人間は、得てして「救国」や「憂国」を口にします。傍若無人な彼らに救って貰うほど、憂えて貰うほど、今の日本はダメな国なんでしょうか。違法改造車を乗り回し条例違反の騒音を発する彼らの存在の方が、日本をダメな国にしているような気がします。読者の方々は、どう思われますか?

 話を元に戻します。最近増加しているデモ隊ですが、このデモに右翼団体が圧力を加えています。いや、妨害していると言うべきでしょう。「解散しろ!」「粉砕!」などと連呼し、デモ隊の発言を封じる動きを見せています(実際の所、デモ隊のマイクの声は完全に消されてしまいます)。警察当局の許可まで得たデモ隊が無許可の右翼に圧迫され、その右翼団体の暴挙に当局は傍観するだけ・・・これでは右翼団体と当局に繋がりがあると言われても仕方がありません。またご都合に出現する右翼団体に、当局から情報リークがあるという穿った見方もあります。
 戦後50年、日本は平和と自由の国になったと言いますが、本当にそうだったのでしょうか。右翼団体が活動している先進国は多くあるのだと思います。しかし、ここまで放任している国、あるいは活動を容認している国は、果たしていくつあるでしょうか。世界に冠する大国を自認する「真空総理」の大活躍が、何となく気に掛かり始めています。

99.07.30

補足1
 「右翼団体」を未定義で書いたので補足を入れておきます。
 今の日本で、純粋な右翼思想に従って活動している右翼団体は少なくなっていると思います。それで今の右翼団体とは何なのかと問われることになりますが、それは右翼思想を持つだろうが生きる手段として活動している団体だという認識にあります。今の時代、政府も警察当局も右寄りなので当然のことですね。
 さらに言えば、いまどき右翼も左翼も無いと思います。戦前ならいざ知らず、これだけ価値観が多様化している時代に、右か左かという分け方はナンセンスです。もしもくっきりした右左の分け方があって、完璧にいずれかを演じきれる人があれば、その人物は天然記念物ものです。
 人間は、ときに大勢に従い、ときに大勢に抗する生き物であります。ステレオタイプな思想をそのまま維持している人間が居たら、その人固有の思想は持ち合わせない、つまりそれは無思想家でしょう。

99.07.30
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