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政治の研究No.77
衆愚政治の先

 衆愚政治とは堕落した民主政治を揶揄する言葉です。ペリクレス後のアテネ市民議会、共和制ローマ末期の元老院、フランス革命後の国民公会などが有名ですね。自国の置かれた状況を正しく把握しようとせず、直面する問題から目を背け、ただただ権力闘争に明け暮れた政治でした。とても残念なことでありますが、今の衆議院が衆愚政治へ進みつつあります。
 どう残念かと申しますと、今国会は実に盛り沢山です。省庁再編、新ガイドライン、盗聴合法化、国歌・国旗法制化、児童ポルノ規制、情報公開拡大など目玉法案が目白押しです。国民生活に多大な影響を持ち、その権利を大幅に制限しかねない法案が、粛々と成立しています。世論はかなり激しい議論を展開しているにも関わらず、国会では大した議論がないままに法案成立が進行しているのは、不気味でもあります。
 前期国会では金融再生関連法に関わる議論で白熱していました。考えてみれば目玉はこれだけにも関わらず、自民対民主の政党対決など国会に見どころがありました。議論すべきは議論し、自民党内でもいろいろな意見が出されました。顔ぶれの変わっていない今国会が、全くの静けさを保っているのが異様であります。

 最大の理由は民主党の凋落でしょう。昨年の民主党ブームが去り、菅代表が有権者に飽きられたことが理由にあります。個人スキャンダルでミソを着け、党首選で大恥をさらし、復権を狙う都知事選でも石原氏に敗れました。あの小渕首相の支持率がジリジリ上昇していることから見ても、有権者離れは如実です。
 対する自民党は、自由党を連立に取り込んで消化し、天下の愚策を断行してまで媚びた公明党の協力を取り付けて、念願の自自公連合を組み上げつつあります。もともと同じ保守(このカテゴリーでは括れないほど、政治は複雑化してきましたね)である民主党とも政策提携の途を模索しており、やっと強い自民党が復活です。
 国政の安定は望むべきことです。しかし、単なる数合わせで運営される国会の出現は、好ましくありません。政策上の違いが見分けられなくなったという面もありますが、パワーバランスのみでの提携はいかがなものでしょうか。

 さて自民党は次期総裁選の話が持ち上がっています。すんなり小渕氏続投と成るのか成らないのか、かつてのニューリーダークラスの動向に注目が集まっています。しかし、党内議員の顔が見えてきません。かつて様々な政策論争や、駆け引きの妙を見せつけてきた派閥の領袖たちの姿がなく、政策研究会などという仲間内集団のリーダーたちが蠢いているばかりです。彼らはどんな事をしてきたというのでしょうか。
 衆愚政治の始まりは、政治家の個々人が何をしているか見えなくなること、です。せっかく有権者の代表として選出されながら、政治家の大多数が賛成や反対に票を投じるだけのマシーンと化してしまいます。「親分があっての子分」であった一昔前よりも、「組織に忠誠を誓うロボットマシーン」である今の方が、罪は重いかも知れません。単なるマシーンなら、二院制も意味を成しませんし、あんな大勢の議員を国民が養う必要もありません。
 いろいろな観点から個々人の意見を出し合い、その中から最上のエッセンスを抽出し、それらをバランス良く組み上げて立派な政策に仕上げるべきです。それが本来の政治家の役割でなかったでしょうか。それを忘れたら、もう政治家ではありません。そうなった背景に、小選挙区制選挙制度の定着を挙げる人が居ます。すでに小選挙区制度で勝ち残った議員は、その地元でも権力を盤石にしつつあります。思ったよりも強大な権力を手に入れたことに満足し、考えることを止めたのかも知れませんね。

 衆愚政治・・・ダレきって腐敗し尽くした政治は、社会を停滞させ悪化させます。やがて新たな改革を望む声が高まり、何もかもを一新してくれるヒーローの出現が待望されます。昔で言えば救世主、今で言えば英雄です。しかし一人の英雄に誰もが期待し、その英雄に強大な権限が与えられるとき、社会は一新されるかもしれませんが、その先には独裁政治が生まれます。
 市民議会はマケドニアのフィリッポス2世(アレキサンダー大王のパパ)によって、元老院はアウグストゥス(カエサルの養子)によって、国民公会はナポレオン1世によって、衆愚政治は独裁政治へと移行しました。旧弊は一掃されましたが、その先には抑圧された非民主政治が出現しました。独裁政治への移行を阻止するためには、今の衆愚政治を健全な民主制に戻すしかありません。

 現役の国会議員の先生方に、大きなインパクトを与えて自浄努力を迫る必要がありそうです。黙っているとこのままなので、どんな方法があるか考えましょう。マシーンだったら、強力な電気ショックを与えるのが有効でしょうか。眠り込んだ自立心を目覚めさせ、萎縮した正義感と責任感に活力を取り戻させ、少しだけ良心の呵責を自覚させるべきですね。
 読者の皆さまは、いかがお考えになりますか?

99.05.28
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