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政治の研究No.70
第70回メーデーに参加

 労働組合員歴も6年目に成りながら、生まれて初めてのメーデーに参加してきました。もともと労働組合の集会は嫌いなのですが、一応今年は役員を引き受けたこともあり、とりあえずのつもりで参加してきました。
 今年は全国1,100会場で公称190万人の労働者が参加したそうです。最近は分裂闘争でありまして、連合と全労連・全労協がそれぞれ開催しました。ポン太が参加したのは後者の東京集会で、墨田区亀戸中央公園に集合し、三つのルートで各地へデモ行進を展開しました。公称8万人の参加とのことで、公園を埋め尽くす大軍と幟は壮観であります。しかし中高年者の参加が多く、若手の参加者はパラパラという感じでした。
 今年のスローガンは「雇用・生活の確保」という切実な問題と、「日米防衛指針法案(新ガイドライン関連法案)阻止」という政治問題とを取り上げていました。延々と4キロ近い道のりを、スローガンを連呼し、プラカードを掲げて行進する様は異様でした。車道を練り歩くわけですが、大量の警察官が動員されて警備に当たっていました。概ね平穏なデモ行進でした。

 しかし労働組合の活動はよく分かりません。単なる民間道路を練り歩くことに、どれだけの価値があるのでしょうか。昔は、沿道の人々とデモ参加者に連帯感を生んで効果を発揮したようですが、今回のデモを見る限り周辺は冷ややかです。先日発表された失業率4.8%という数字も他人事という雰囲気でした。周辺住民が冷めているのか、デモ行進という手法が時代遅れなのか・・・。シュプレヒコールや団結ガンバロウというのも空しく響きます。とりあえずは結束を固めたという程度で良かったのでしょうか。
 戦前のメーデーは大変なものであったそうです。運動を主導していたのは、当時非合法化されていた共産党の熱烈な指導者達であって、警官隊や機動隊と何度も衝突を繰り返したそうです。ただ単に野蛮であったというのではなく、それだけ訴えるべきことが切実であり、生活を防衛するために欠かすことができない活動であった証左なのでしょう。大戦中は、国内の結束を固めるため10年間メーデーが禁止されたそうです。
 戦後のメーデーでは、1960年の安保更新反対のメーデーが盛り上がりを見せ、多くの検挙者を出したりもしたそうです。それに比べると、今の労働者というのは大人しくなってしまいました。程々に生活も潤い、専ら雇用不安ぐらいしか訴えるものがありません。現実に解雇・休職に追い込まれたわけではないので、自然と力が入らないのもやむを得ないのかも知れません。

 労働組合が自然消滅するのは問題が大きいにしても、活動の中身が見えない現状では、若手離れや組織率低下も成るべくして成っているようです。組合活動にしゃしゃり出て、支援ばかりを求める共産党の存在、高すぎる組合費や、負担の大きい活動への動員・・・こんなことを続けていると、今以上に労働組合の活動は尻窄みになることでしょう。
 新世紀まであと少し、です。そろそろ新しい労働者運動の在り方を見直すべき時期が到来しているのかも知れません。デモ行進ではなくネットを活かした活動、何でも反対ではなく積極的な逆提案、必要で在れば経営への参画、などなど、いくつかビジョンを描くべきではないでしょうか。政治的にサポートする責務があるとすれば、共産党も体質を変える必要があるでしょう。共産党や社民党が使えないとすれば、自民党と結びつく労働組合がもっと増えても良いような気がします。

 組織員に負担を求めるなら、充分な見返りが得られるよう活動を見直して欲しいところです。惰性だけで活動を続けるようなことは将来のためになりません。あと30年後に、果たして第100回メーデーは開催されるのでしょうか??

99.05.02
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