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政治の研究No.67
外交 と 武力行使

 歴史上、最も優れた外交手腕を発揮したのは誰でしょうか? 私はプロイセン首相を務めたビスマルクを推薦します。プロイセンの周囲には、ロシア、オーストリア、フランス、イギリスという列強があり、神聖ローマ帝国全体をさえ纏め得ないプロイセンに勝機はあり得ませんでした。ところが彼は、列強各国が抱いていたフランス憎しの感情を利用して対仏同盟を主導し、最終的に普仏戦争に勝利してフランスに城下の盟を誓わせました。対内的にも恐怖政治を誘導することなく、巧みな内政を駆使し、オーストリアを除く旧神聖ローマ帝国領の大半を併呑しました。
 最終的に武力行使という手段を使いましたが、これはフランスに外交上の完全な敗北を認識させるために行使したもので、国を賭けての戦争ではなかったことに特徴があります。あくまでソフトなアプローチで望み、ときには利益をちらつかせ、ときには威嚇を見せつけ、武力行使を極力伴うことなく戦略上の勝利を築き上げました。故に、一番優れた外交家として評価したいのです。

 民族的にみて交渉上手なのはユダヤ人です。早くに国土を奪われて流浪の民となった彼らは、タルムードという書物を基礎とした民族的誇りを育ててきました。タルムードは、口伝律法とその注解とを集大成したもので、生活規範や精神文化に関するあらゆる事項が盛り込まれています。これにユダヤ教の聖典である旧約聖書を合わせて、極めて奥行きのある文化を築いてきました。
 タルムードに生まれたときから親しませるべく、書籍のカバーに蜂蜜を垂らし、それを舐めさせたと伝わっています。読むだけで何日も掛かる膨大な情報を子供時代から繰り返し学ぶことにより、知識を自らの血肉に変えていったのでした。中にはあらゆる交渉術のエッセンスも盛り込まれており、4〜5世紀の成立と言われながらも、今日でも威力を発揮する、ユダヤ人の力の源泉です。彼らはケチ故に商売が上手なのではないのです。

 外交というのは、言ってみれば国家と国家のビジネスです。自分に有利な条件で契約を結びつつ、相手にもそれなりの実利を与えて、今後の付き合いに備えるものです。お互いの利害を調整しつつ、契約履行に絶対的な強制力を持たせるものでもあります。つまりビジネスでの交渉術に長けた者は、外交交渉術にも優れている分けです。決定的な違いは、それぞれの交渉に関わる情報の中身が違うということだけです。
 そういう意味ではバランス外交で巧みにヨーロッパを泳ぎ切ったビスマルク的交渉術は邪道であるかも知れません。しかし彼もまた情報を巧みに入手・流布し、諸外国を手玉に取った点では優れたビジネスマンであったかも知れません。
 ところで、ユダヤ人が生んだ最高の外交官といえば、キッシンジャーでしょう。もともと政治学者であった彼は、自らを巧みに売り込んで大統領補佐官、国務長官を務め、その期間において米中和平とベトナム戦争終結を実現しました。度々秘密外交と言われた彼の手腕は、情報を一手に集約しつつ、全ての分析を担当し、エッセンスだけを大統領に提供して最小努力で最大効果を生み出す外交スタイルに特徴がありました。彼は数々の成果を上げながらも、全ての花は大統領に持たせ、なおかつ情報を独占して自己保身も図るなど、優れた人物でした。

 このキッシンジャーを生んだ米国外交は、残念ながら非キッシンジャー時代においては、常にカウボーイ的外交を展開しています。始めから武力行使を辞さない姿勢を強調し、ハードなアプローチによって交渉相手を屈服させ、それでも従わなければ強権発動をするというものです。こうした世間知らずな外交が成立している背景には、歴史と伝統のあるヨーロッパ諸国が二度の世界大戦により疲弊してしまったことに起因しており、米国には不幸なことに対等以上の外交交渉を行う相手が存在しなかったことにあります。
 そもそもキッシンジャーの鮮やかな交渉術に対しても、米国民は不満でした。強い大統領とは、武力行使によって多くの利益を国民にもたらす大統領であって、交渉相手など打ちのめすような強力外交を奮う大統領です。そのため高圧的な姿勢を見せる大統領が増え、相も変わらず傲慢な外交交渉が目立っています。古来より武力行使は外交において最大の下策です。交渉相手に回復しようのない怒りを与え、著しい後遺症を植え付けています。知ってか知らずか、十分に交渉を尽くすことなく武力行使を発動する米国流交渉術は、これから通用しない時代が来るでしょう。

 武力を振り回せば振り回すほど対外感情は悪化し、身動きの取れなくなる時代がきっと訪れます。ただ警戒が必要なことは、米国軍が地球全体を何度も焼き払えるだけの核兵器を保有していることで、誰にも相手にされなくなった米国が自暴自棄に陥ることだけです。少しずつ時間を掛けて、米国にも大人の交渉術を学ばせていきたいと思います。そのためには、日本政府も毅然とした態度を取らなくてはいけませんね。

99.04.30
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