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政治の研究No.61 |
公務員キャリア試験を考える
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さて、すでに1か月も前から読者の方から「書け!」とメールを頂いたのですが、準備不足のため遅くなりました。公務員のキャリア試験が今回のテーマです。
まず、キャリアの話からしましょう。キャリアとは「経験や経歴のこと。職業の場合、とくに専門的な知識や技術を要する職業を指す」と定義されます。日本の国家公務員試験は1種・2種・3種に区分されています。3種は高卒程度の知識を要求され、2種は大卒程度の知識、1種は2種以上に高度な知識を要求されると言います。上記の定義に従えば、とくに専門的な知識が「高度な行政に携わるための素養」ということで、国家公務員では1種採用者がキャリアと呼ばれています。ただし、1種採用者でも職務の違いにより、事務官と技術官と研究官に分かれています。一般にいうキャリアは事務官に限定されるようです。なかでも法律・経済・行政の試験区分で採用される事務官は、エリートコースを進む者とされています。
事務官のトップは事務次官です。しかし全てのキャリアが事務次官に成れるのではありません。同期で入省したキャリアたちは、課長・部長・局長・事務次官(本当は補佐を含めてたくさんの階層があります)と上がっていく間にポストは少なくなるため、キャリアであっても少しずつ脱落していきます。脱落した者は下部組織や関係団体、業界団体に天下ることで、再就職の途を見つけていきます。再就職の途は大抵、官房(社長室みたいなものかな)が担当して世話をします。しかし次々に天下ってくるため、後続にポストを譲って第2・第3の天下り先へと天下ります。天下る都度、ポストのランクが下がるのが一般的ですが、同期で有力な事務次官が登場すると、その腕前によって良い天下り先が貰える仕組みに成っています。天下りに出された者は逆に事務次官となる人物を有形無形の援助で支えてきました。
つぎに、ノン・キャリアです。公務員のうちキャリア以外の全員がノン・キャリアだと言えます。3種よりも2種、2種よりも1種の方が採用されたときのポストが上で、昇進速度も速くなるように成っています。したがって、ノン・キャリアの場合は長く務めることが可能ですが、最終ポストは知れていますから、生涯賃金も退職金も知れたものです。また同じポストに居る期間が長いために、同じ職務に精通していることが多いのですが、その知識が外部で活用される(つまり天下れる)確率はかなり低いのが現状です。ノン・キャリアの仕事は、キャリアに代わって職務を遂行することにあり、高学歴なだけの若造にこき使われる立場にあります。
キャリアの場合は短期間にポストを駆け抜けるため、その名に反して職務に精通して知識を深める余地が少なくなっています。キャリアは実務に暗いと言われる所以です。実務面はノン・キャリアがサポートしてくれますが、天下った先ではサポートが受けられず、全く役に立たないという弊害もあります。
それで、本題のキャリア試験です。キャリアの採用は完全に1種試験に依存しています。原則として好成績を収めた者から採用することに成っていますが、人物を見て各省庁が決めることになっています。このため、学閥や地方閥、ときには閨閥といったコネが物を言って採用が決まることが多いと聞きます。もちろんコネがあって成績が優秀であれば問題が少ないのですが・・・必ずしもそうではないようです。また同時に入省するキャリアでも、多くの場合は事務次官や局長クラスまで残れる人間と、局長まで進めない人間とが、ほぼ入省時点で決まるそうです。次官候補を核として結束し、無用な競争をせずに調和を保つシステムができているわけです。
コネの優劣や試験成績を重視したキャリアシステムでもそれなりに機能してきたのは周知のことです。専ら日本の組織が人物よりもポストで機能するシステムを構築してきたためです。しかし未曾有の行政危機が訪れた結果、ポストだけでは機能不全に陥り始めています。巷ではキャリア試験そのものを批判する声が高いようですが、ポン太は試験の弊害よりも、採用形態の問題の方が大きいのではないかと考えています。例えば、大蔵省には東大卒のキャリアが多いことで有名ですが、明らかに学閥による結束の強さが生みだした結果です。1種試験の合格者の大半が東大卒であるはずもなく、コネ重視の採用が招いた結果であると考えています(一般的にも言われていることですが)。
学閥などで固められた組織は硬直化します。閥に属する人間は能力が不足しても昇進しますし、閥に属せない人間は能力があっても昇進が遅れたり脱落したりします。その結果、組織全体の士気は低下し、また閥依存の人間は積極的に能力を身につけようとしないため、組織全体の能力が低下することに成ります。表向きは閥の存在を否定し、私学出身者の幹部登用などもアピールしていますが、次官には旧帝国大卒、とりわけ東大卒の人間が就いています。最近の大蔵省批判などは、ここから来ています。
キャリア試験は有用であると思います。少なくとも一般教養試験は必須であるでしょうし、専門試験もそれなりに重要だと考えます。ただし専門試験については必ずしも高度な内容である必要は無いと考えています。専門知識の高度なものは入省してからでも身につけられるからです。その分だけ教育期間は長くなりますが、実務を身につけることもできますし、入省後の能力を見てから昇進コースを考えても遅くない、と思うからです。現在でも適性試験と論述試験、面接などがありますが、適性試験に落ちるのは特殊な人間ですし、論述試験も偏差値試験ですから専門試験をクリアする人間には簡単な内容です。面接の面接官もキャリア中心なので、あまり適切に人物を見ているとは思えません。多めの人材を採用し、適性を見極めて使うのが妥当かと思います。あるいは2種・1種を一括採用する手もあるかも知れません。
次に採用形態ですが、人物重視で採用するという建前があるものの、専ら学閥の温床になっているとの批判があります。総務庁で全公務員を一括採用して、総務庁が採用者を各省庁に配分するスタイルにすれば、学閥やコネ偏重の問題が解消するはずです(委員会形態にするとか、採用専門の組織を新設しても良いでしょう)。以前に提案されましたが、現職キャリアの猛反対で見送られています。学閥ほかで塗り固めた城壁が崩壊することを怖れるためです。一連の行政改革に抵抗しているのも同様の理由でしょう。本当に人物重視で採用をするのなら、それなりの目を持った人たちが採用するべきです。例えばノン・キャリアのベテランや、思い切って民間経営者などを呼び集めて面接官にすれば、かなり人物の見極めができるはずです。
公務員キャリアの試験制度と採用形態を改めるならば、結局は組織全体が活性化していくのではないかと考えています。専門性の問題が残りますが、キャリアであれば実務面のキャリアは最小限でよいので、各省庁を回遊させることも可能であると思います。現状では大蔵省な有力官庁からの一方的な出向・併任ですが、逆に有力官庁へも人材を送り込むべきです。キャリア達が「省益」という狭い了見を捨てることも可能になり、「縦割り行政の弊害」も解消されるのではないでしょうか。
99.02.28
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補足1
キャリアの皆様からのご批判には応じかねます。ご意見は各省庁のHPまたは広報誌にて開陳して下さることを期待しています。マスメディアでコメントを載せて頂くのでもOKです。それだけの実力と見識はお持ちですよね。
99.02.28
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補足2
本文中「教育期間が長くなる」という点を補足します。教育期間が長くなれば、次官まで出世する期間が長くなると言うことです。次官になる人物にある程度の若さが要求されることは分かりますが、実務や現場を知らないで駆け上がってきたキャリアが、ただ若いというだけで使えるのかどうかは疑問です。むしろじっくりと下積み経験を積んだ上で次官に成った方が、見識も確かであると思います。
次官になるまでの期間が伸びれば、脱落していく人間の在職期間も延びることになり、天下りの回数を少なくすることができます。見識が十分に備わった人物であれば、受入側も納得するでしょうし、腰掛け役員ではなく、本格的な指導者として受け入れることにも理解が出るはずです。またそれほどの人材であれば、次官をサポートさせるための特別ポストを設けて処遇する価値もあり、人材の有効活用に繋がると思います。幹部職員の粗製濫造を改めることは、国民の信用回復の上でも重要になるでしょう。
99.02.28
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補足3
「外国語能力を重視するあまり、国内音痴ばかり」と言われてきた外交官採用試験が、公務員1種試験に統合されることに成るそうです。このスタンスは、外国語などの専門知識は採用後に教育すれば足り、採用するに当たってはそれ以外の能力を見ていこうとするものです。上記提案の外務省バージョンということになりますね。偶然書き上げた日に記事を見つけてしまいました。良い方向に向かっているような気がしますね。
99.02.28
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補足4
人事院は課長級以上の幹部職員にノンキャリアを積極的に登用する道筋を付け始めました。具体的には、2・3種職員を対象に幹部育成研修を施し、要件を満たした職員は幹部職員として登用するそうです。当時に、登用状況も公開していくとのことです。現在のところ課長級以上に占める2・3種職員の割合は10%に満たない状況で、キャリア偏重が著しいものでした。
また専門職員について、試験区分を25区分から10区分にまで統合し、深い専門知識よりも基礎的素養を持つ人材を採用する試験形態を採用するそうです。役所間の垣根を引くくし、縦割り行政の弊害を緩和することも狙いにあるそうです。
99.04.02
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