うぉーきんぐ・おん

 芝居舞台でちょっと歩くだけの端役(もちろんセリフなし!)のことを「Walk-on」と呼ぶそうです。そして、その芝居は「Walking-on」となるでしょうか。

質より量のシーンがある

大きな作品では、どうしても多くのキャストで埋めなくてはいけないシーンがあります。街中シーンでの通行人、舞踏会シーンでのゲスト、あるいはフィナーレ。シナリオとは全く関係がなく、その一シーンのためだけに、Walk-onが必要です。国内でも、ブロードウェイ系作品などでは、このWalk-onが活用されています。

しかし、Walk-onだとしても、有名な作品に出演すれば、立派なキャリアになります。何かの縁で、主役級の俳優に認められることもあるでしょう。あるいは、代役が回ってくることもあるかも知れません(というよりも、誰かの代役の代役であったりもするようですが)。したがって、Walk-onさえもオーディションの対象であり、狭き門ということになります。

とにかく質よりも量のシーンではありますが、無意味な自己主張をせず、かといって単なる置物ではない、パセリのような大事な役割を担わされています。

パセリの自己主張

「誰もが主役」パターンの小劇場系作品では、Walk-onと思っていた人がいきなりスポットを浴びたりするので、素人目には不自然な展開になります。先ほどの喩えを使えば・・ステーキを食べていたはずなのに、真ん中にパセリがしゃしゃり出て、自己主張を始める感じです。そのパセリが美味であればともかく、付け合わせに相応しい平凡な味であれば、客には嫌われます。

TVドラマを見ていて、普通に街路を歩いている通行人が、いきなりストーリーに割り込んでくる・・ということは無いわけです。ストーリーに絡んでくるのは、あくまでメインとサブのキャストのみ。名もない通行人が自分の世界を語り始めたら、雰囲気ぶちこわしです。Walk-onならばそれらしく、パセリに徹することが、大事でしょう。パセリの中にも変わった奴、面白い奴、楽しい奴、巧い奴・・は在るでしょうが、自己主張は舞台の外でして貰って、舞台には持ち込まないことを望みます。

 知人の役者とかと話をすると、小劇場系ではチケットノルマもあるので、「誰もが主役」みたいな作品でないと、人が集まらず困ると言います。その窮状は知っていますが、そんなままだから縁故関係者しか観客が呼べず、いつまでも自己満足なだけの活動になってしまうのでは・・?