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経済の研究No.171
巨艦「そごう」は沈まず・・・

 未だレポートが書けていませんが、2000年4月より民事再生法が施行され、使い勝手が悪いと言われてきた和議法が同時廃止されました。これ幸いと適用申請を行う企業は多く、わずか2ヶ月で東証1部上場会社を含む100社以上に上っています。小口債権者から見れば悪法との怨み節も聞こえてきますが・・・。

■ 巨艦「そごう」の破綻
 百貨店の中でも老舗のそごうは、急速に全国各地に進出して多店舗化を図りました。バイイング=パワーを確保し価格決定のイニシアティブを握ることは、流通小売り業の基本であると第168回などで書きました。しかし、多店舗化がそのまま収益改善に繋がるわけでなく、初期投資が膨らめば膨らむほどに借金体質に陥るリスクがありました。現実に、そごうは土俵際にまで追いつめられました。
 多店舗化に走らせた最大の理由は、高度成長神話とバブル神話にあります。土地や不動産に巨大な初期投資を行っても、地価上昇による資産増加でペイするという判断が働いていました。せめて当時から不動産の小口証券化による有利子負債圧縮を図っていれば良かったのですが、含み益を基礎にした再借り入れなどで有利子負債を雪だるま式に膨らませました。
 加えて、百貨店は「フロア貸し」と呼ばれる他力本願な経営を行ってきました。フロアの大部分に有名ブランド店などのテナントを誘致して、その高い賃料を収入の当てにしてきました。しかし消費不況やブランド同士の競合などでテナントの多くは賃料が重荷になり、フロアに穴を空けられない百貨店は引き留めに躍起という構図に変わりました。かつては共存共栄でしたが、共倒れの危機も招いています。
 有利子負債の圧縮と、賃料依存からの脱却は、国内百貨店のいずれもが抱いている課題であります。また不採算店の閉鎖や人員削減は避けられず、五十貨店への経営特化なども迫られています。その破綻第一号が、そごうに成りました。

■ 暴走は止まらなかった
 百貨店は「装置産業」と言われていました。集客マシーンとしての装置(入れ物)を作れば、勝手に客が集まって、勝手に商品が売れていく時代がありました。国民の多くに中流意識が芽生え、百貨店を利用することがステータスだった時代がありました。そういう時代であれば、地方都市へ進出しても、フロア貸し依存であっても、さほど苦労なく販売額が増え利益も積み上がりました。
 しかし、大型スーパーの百貨店化や、カテゴリーキラーの大型店出現などは、百貨店の優位性を奪いました。加えて、消費者も高いだけで実体を伴わない百貨店経営のあり方に背を向け始めています。もはや装置ではなく、商品やサービスの良さこそが集客のキーポイントに移り変わっています。そごうは最後まで装置主義を捨てませんでした。
 地方の駅前立地が確保できると、そこへ迷わず進出しました。地上げされた土地、区画整理の進んだ土地、採算性度外視で銀行や自治体の持ち込んだ案件に飛びついて、次々に店舗を出しました。しかし、いずれもが赤字であり、負債は減らず積み上がるばかりでした。それでも旗艦店と呼ばれる都心大型店が好調であったことで、その地方店の健全化にメスは入りませんでした。
 さらに不幸なことはワンマン社長を戴き、不透明なグループ会社による際限ない多店舗化が続けられたことです。上場している本体が店舗を出すのであれば銀行や株主のチェックが入りますが、不透明な持ち合い株式などで複雑に事実を隠蔽されたグループ店舗が20数店舗に膨れあがり不良債権化してしまいました(本体の保有店舗は、大阪・神戸・東京の3店舗のみ)。ワンマン故に暴走が止まりませんでした。

■ 出血を恐れたメーンバンク
 そごうのメーンバンクは、日本興業銀行でした。長い間、そごうの暴走に目をつぶって、望みの薄い景気回復に期待を繋いできました。あまりにも膨らみすぎた負債を消却する体力がなく、景気への影響など政治的期待にも応える義務を課せられました。優良行という看板にも傷のつく、大型不良案件の整理はどうしても避ける必要がありました。
 しかし金融統合の荒波を乗り越えるために膿は出しきる必要があって、公的資金導入やITバブルなどで消却原資も確保できました。今が絶好の整理タイミングだったといえます。本来であれば、会社更生法適用に追い込んで合法的に整理を行うのが簡単です。ゼネコンではしばしばウルトラCとして発動されてきました。しかし、待ったが掛けられて、モラルハザードの欠如に繋がる債権放棄に決まりました。
 債権放棄に至った理由は、住専などと同様にメーンバンクの責任を問われたことです。流通小売りに関しては、有利子負債を膨張させた責任の大部分がメーンやサブメーンにあります。経営チェックの義務も同様です。会社更生法や民事再生法の適用を受けたのでは、責任割合の小さい他の金融機関も一律に損失を被ります。まずメーンとサブメーンが十分な放棄を行うことが前提とされました。激しいメーン・サブと他の金融機関の駆け引きが演じられました。また水面下では政治的な駆け引きもあったようです。

■ 政府出動で円満解決
 そごうが要請した債権放棄額は6,319億円でした。対象となる金融機関は73にも上りました。いくらメーンやサブが泥を多く被っても、一律放棄に応じてもらうのは難しい課題です。これまでの例に漏れず、また弱小金融機関である信金や農協系金融機関が絡んでいました。一律負担では、また族議員の暗躍が繰り広げられた模様です。
 加えてサブの抵抗もありました。国有化を返上したばかりの旧長銀は、新生銀行と名を変えて再出発したばかりです。いきなり巨額の債権放棄に応じるわけに行きません。もともと引き継いだ債務が大きく棄損した場合は預金保険機構に買い取り請求できる特約がありますが、債権放棄には適用されないことに成っていました。約1,000億円の割り当てを受けた新生銀行が拒否すれば、債権放棄は絵に描いた餅です。
 最終的には、政府が出動して決着を見ました。新生銀行のそごう債権を預金保険機構が買い取り、その上で債権放棄に応じることで、サブの責任を取った形に落ち着きました。その放棄分は丸々国民の税金ですが、メーンやサブの経営陣はもちろん、そごう経営陣の責任を問わなくて良いものでしょうか? 確かに従業員の雇用は維持され取引先にも大きな混乱はありませんが、放漫体質を改めることなく責任の所在がウヤムヤのままです。

■ むすび
 そもそも雇用維持は、法的整理でも実現可能です。半端な整理を付けたために、経営破綻を理由とした赤字店舗の整理にも着手できないようです。残る債権が1兆円となれば経営は立ち直るとする見通しは甘く、机上の空論であると見えます。抜本的な経営改革を伴わず、暴走したワンマン経営者の首を切っただけでは、いずれ再破綻が起きる可能性があります。そのとき、政府出動の円満解決は何だったのかと問われはしないでしょうか?

00.06.29

補足1
 預金保険機構が破綻前に債権を買い取り、これを放棄することは説明が着きません。一応は、法的整理よりも債権放棄の方がロスが少ないという論法は使えますが、再破綻してしまえば二次ロスが一層大きくなる危険があります。今回は、興銀のバックアップにより預金保険機構だけに優先弁済する約束が成されため、二次ロスは発生せず国民の負担は小さいという説明がされています。
 しかし本当に再破綻した場合に預金保険機構だけが優遇されるのでしょうか。またぞろ政治家が出動して、新しく損失負担のスキームが歪められる可能性の方が大いにありそうです。「クサイものにはフタ」式のいい加減な解決が図られたという気がします。

00.06.29

補足2
 そごうグループから追われる形となった水島廣雄・前会長は、持株会社機能を持つ千葉そごうを旗艦とし、そごうグループ各社を統括してきました。今回の債権放棄の責任問題に絡んで水島会長が保有していたグループ各社の株式が返還されました。債権者である銀行団は、さらなる水島氏の私財提供を迫っていますが、銀行の経営陣の責任はどのように問われるのでしょうか。

00.06.29

補足3
 政府の出動により、債権放棄によるそごう救済スキームができましたが、厚い世論の逆風により、与野党ともに債権放棄による公的救済を拒否しました。これにより政府も救済スキームを撤回して、一転してそごうは民事再生法による破綻へと舵を切りました。何故に会社更生法適用申請でないのか、未だに見えないところです。
 しかしメーンバンクの日本興業銀行は、当初から民事再生法による救済も視野に入れていたようであり、深い因縁があるのかどうなのか・・・。第172回そして魚雷を放たれた」を書きました。

00.07.15

補足4
 そごうグループが破綻したことにより、水島会長の私財提供は時価10万円程度になってしまったそうです。目立った資産は自宅だけとされていますが、マスメディアの報道によれば、海外などを含めてかなりの隠し資産があるようです。

00.07.29
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