今以上に身元確認手段がいい加減だった時代の証券業界では、鉄砲屋という恐るべき顧客がありました。彼らは毎日少額の商いを繰り返し、ある日突然大きな注文を出したきり姿を眩ますのです。もちろん買い銘柄が短期日に上昇すれば知らぬ顔で手続に現れますが、得てして買付金を払うことなく差益の支払いを求める強引なものです。「ズドーン」と一発放って獲物が捕まらなかったら逃げることから鉄砲取引と呼んだのです。最近では證券会社にも知恵が付いて、鉄砲屋の被害は少なくなりました。
バブルの時代には、組織的な鉄砲がありました。大砲屋と呼ぶべきかも知れません。中堅企業を装って毎日大口の買いを入れるのですが、ある日を境にして小切手決済を求めてくるようになります。始めは不足金を小切手、つぎに半金半手(50%を手形や小切手で支払うこと)、最後には全額小切手払いとなります。とにかく毎日買ってくれるし莫大な手数料が稼げることから、営業マンを日参させ、即日に換金できる小切手払いに対しても證券会社の警戒心が薄れるのです。てっきりシテ相場でも張っているのかと考えた頃、いつになく大きな買い取引が入り、その日の小切手がいきなり不渡りに成るのであります。大砲を放つまでの資金をどうしていたかと言えば、別の證券会社を通して即日に同値でたたき売っていたのです。売買手数料は高額ですが、見せ金に比べれば少額で、最後に得られる利益はさらに大きいから問題はないのです。
#Nに相次いだ鉄砲はさらに念が入っています。例えば野村証券が55億円近い被害を受けた例では、とある金融会社の社長から上場会社の会長からの注文だと偽った200万株を超える大量の買い注文が入りました。その銘柄は連日の値上がりで10倍近くに値が跳ね上がったシテ相場株であり、200万株というのは常識をはるかに上回る株数でしたが引き受けてしまいました。しかも電話で受けたのです。当日複数の證券会社から計200万株の売り株があり、見事取引成立となりましたが、期日がきても入金がされませんでした。件の社長に問い合わせても知らぬ存ぜぬの一点張りです。たしかに注文を受けた証拠がないのです。結局社長が知り合いの仕手筋から頼まれた狂言注文であったことが発覚し、その見返りが10億円と高額でありましたが、社長個人の株取引で発生した損失の埋め合わせに使われていることが明るみに出ました。もちろん社長は解任と成りました。Tという上場会社の事件でありました。
結局野村証券の損失は、野村が鉄砲の被害を受けたと聞きつけた投資家たちが問題銘柄の株を売り始めたことにより拡大しました。株価は連日のストップ安を付け、しかも内規で入金の無かった株式は即日に(値が付く最初の日に)全株処分する必要があったため、自分で相場を下げて自分で損失を確定させることになりました。野村が黙って抱え込み、小口に市場で処分していれば損失はもっと小さかったはずですが、寄り付いた株価は鉄砲を放った時点の1/3になっていたようです。ところがその後も中堅証券で同様の事件が相次ぎました。中堅証券にとって10億円単位の損失は死活問題なだけに慎重さが求められるでしょう。しかし、電話で注文を受けた担当者はどうなったのでしょう。
98.05.13
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