田沼氏[1] | 詳細表 | 一覧表 | |
出 自 | 藤原朝臣 佐野氏 | ||
拠 所 | 下 野、遠 江、陸 奥 | ||
氏 祖 | 田沼 重綱 | ||
家 紋 | 七曜、九曜、丸に一文字 | ||
出 典 | 姓氏家系辞書(佐野系図、田沼家伝) | ||
解 説 | 下野国田蘇郡田沼より起こる。重行は南朝方守邦親王に仕えて新田義貞に属した。重信と重高は千本氏を称したが光房が田沼姓に復した。忠吉は武田信玄に仕え、のち家康に仕える。意次は老中となり加増を受けて遠州相良5.7萬石を受け、賄賂行政を行い失脚し3.7萬石に削封された。意知は若年寄となり陸奥信夫を得たが佐野政言に斬られた。意明の代に1萬石となった | ||
派生氏族 | 千本氏 |