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日本史の研究No.42
伝 統 文 化 の 充 実

 鎖国の完成により、日本人のエネルギーは、海外へ向けられず、国内へ向けられました。我々が目にできる日本独特の伝統文化が、今日まで残っているのは、鎖国の恩恵と言っても過言ではないでしょう。相撲や柔剣道、能・狂言・歌舞伎、和歌・俳句・川柳・狂歌、茶道・華道・日本舞踊、浄瑠璃・滑稽本・読本・浮世絵、清酒・陶磁器・絹織物・・・室町時代以前にルーツを持つモノも含めて、日本に深く根付いたのが、全てそうだと言えるでしょう。
 南蛮人や紅毛人のもたらした文化に刺激を受けながらも、日本独自の文化を育む土壌は、鎖国によって得られたと考えます。諸外国との交流が立たれた時代に、独自の文化が華開くのは、世界の歴史を見回せば、自明の理です。もちろん、諸外国の文化と交配して、新しい文化を生み出すことも多いですが。

 ただ世界が閉ざされたから伝統文化が育まれた、とは言いません。農業の生産性が向上し、穀物以外の農産物の生産が盛んになり、手工業の発達による原材料の生産が拡大されたことも理由にあります。町人が実力を貯え、文化の担い手となっていったことも重要です。徳川幕府の支配が、久方の社会的安定期をもたらし、文化の安定成長が可能となったことも大きいです。五街道が整備され、宿場町が形成された意義も大きく、回船による大量輸送の実現も役立っています。
 諸大名は、江戸への参勤交代を強いられました。領国内の収益の過半を、領国外で散在させられる形になりました。その支出を補うために、特産物の生産が奨励されました。各地の伝統芸能を京都や江戸へ輸出することにも成りました。

03.06.21

補足1
 鎖国開始当時のオランダは、イギリス・スペインを抑えて、世界最強の海運国でありました。バタビアを軸としたオランダ東インド会社が活躍し、最大の繁栄をもたらしました。その後は、イギリスに逆転され、多くの植民地や権益を喪失しました。幕府に提出される風説書には、その事実が伏せられていたために、幕府はオランダの二流国転落を知ることができませんでした。もしも、イギリスやポルトガルとの貿易を継続していれば、オランダの実勢や、世界の動向を掴むことも可能であったかと思いますが・・・不幸にも、自ら機会を閉ざしてしまいました。

03.06.21
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