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経済の研究No.58
長信銀時代の終焉

 いわゆる長信銀は、日本興業銀行(以下、興銀)、日本長期信用銀行(以下、長銀)、日本債券信用銀行(以下、日債銀)の三行を指します。いずれも長期信用銀行法に基づいて存在していますが、その歴史は全く違っています。長期信用銀行法は昭和27年の制定ですが、その背景にはGHQによる昭和23年の特殊銀行廃止指令に端を発します。終戦当時の特殊銀行には、興銀と、日本勧業銀行(以下、勧銀)と、北海道拓殖銀行(以下、拓銀)がありました。政府管理のこの三行が動かす資金量の豊富さに注意喚起されたGHQは、財閥解体と同時に、商業銀行への転換と完全民営化を命じたものです。当時の商業銀行の役割は決済機能と短期資金融資機能が中心で、長期資金融資機能は備えていませんでした。このため特殊銀行三行から長期資金融資機能を分離する必要性が持ち上がりました。
 もともと一般の預金銀行では定期預金は最大預入期間が3年間でしたから、長期資金を融資することは難しかったのです。興銀は長期資金融資が専門でしたから問題がありませんでしたが、勧銀と拓銀には長短融資両方の機能がありましたから、両行がいずれの途を選択するにせよ、長短分離は必要でした。結局は長期信用銀行法が成立すると同時に、興銀はそのまま長信銀へ移行し、他の二行は預金銀行へ業態転換しました。その際、勧銀と拓銀の長期資金融資部門が分離されて昭和27年に設立されたのが長銀なのです。日債銀は昭和32年に日本不動産銀行として設立された長信銀で、同39年に外国為替公認銀行に指定され、同52年に現行名に変更しました。今では他の二行と大きな違いがありません。

 さて、長信銀には長期資金をプールするための利付債と割引債の発行が認められました。利付債と割引債は政府保証がついた(も同然な)安全な債券との認識が広まり、多くの購入者が現れたため、預金銀行には打ち出の小槌と映ったことでしょう。しかし問題は高い利回り保証を維持するために、優良な顧客を確保する必要があったことです。長期資金ですから自ずと金額は大きくなり、その貸出先も限られています。興銀は戦前から存在したので多数の親密取引先があり融資先には困りませんでしたが、新興の長銀や日債銀には良い融資先が見つけられませんでした。債券は発行しさえすれば投資家が買ってくれるのに、融資先がないから発行できないという悩みがありました。どんどん興銀に水を開けられる二行が焦りを持ったのは当然のことでした。結果としてバブルの発生と同時に新興の不動産業や消費者金融への融資にのめり込んだのは当然の成り行きでした。担保掛け目が120%という無謀な投資を繰り返したのも、興銀へのコンプレックスから起きたことなのです。
 とくに長銀の持つコンプレックスは複雑でした。長銀はたしかに勧銀と拓銀の長期資金融資機能を引き継ぎましたが、正確には人材だけで顧客は引き継がなかったのです。当時の勧銀では完全商業銀行転換論と、預金銀行と長期信用銀行の二行分割論が闘われました。勧銀の浜口巌根副頭取と杉浦敏介氏は二行分割論の急先鋒であったのですが、結局地方銀行が脅威を訴えたために完全商業銀行転換論が勝利を収め、新たに長銀が設立されました。敗れた浜口と杉浦の両氏は長銀へ移籍し、浜口氏が初代頭取に就任しました。同じく勧銀からの移籍組が浜口氏や杉浦氏の側近を形成し経営陣を固めていくのでしたが。。。黙っていれば浜口氏が勧銀頭取の座を射止めた可能性は高かったはずです。転換論の急先鋒だった武田氏は勧銀頭取を務めています。とまれ持ち前のエリート意識と勧銀憎しの気持ちから顧客の自力開拓へ邁進し、優等生の興銀へも闘志を燃やしたことでしょう。
 二番手銀行の悲哀と過剰なエリート意識。そこから生み出されるエネルギーは莫大ですが、歪んだエネルギーがバブル時代に暴発したのでしょう。無謀な債券増発とバブル企業への資金注入・・・で今回の破綻があります。興銀を追いつけ追い越せと質重視よりも量重視の融資に走り、バブル崩壊に際しても本体、ノンバンクがフルパワーで他行債権の肩代わりまでしてしまいました。浜口氏の跡を嗣いだ杉浦氏が昭和53年から陣頭指揮を執ってきた結果なのです。馬車馬のように走り続けた浜口氏と杉浦氏・・・その結末が、銀行本体がパンクするほどの借金だけを残しました。。。

 ともかく長信銀の時代は終わりました。商業銀行は多額の預金をかき集めるとともに巨大な企業グループを形成し、グループ内の長期資金の面倒も見るようになりました。今後は商業銀行による普通社債解禁でさらなる資金調達の目処も立ち、長信銀の利付債や割引債が発行できるメリットもなくなるでしょう。また日債銀や長銀の発行債券は大蔵省資金運用部が中心となり、政府系金融機関や年金などが買い支えていると言いますし、加えて長銀には日銀からのじゃぶじゃぶ低利融資で満期債券の償還を行うほどに逼迫しており、もはや存続の必要性が薄れています。加えて日債銀は格付け低下で国際信用力を無くしているために、大手企業融資をやめて中小企業融資へウェートを移しているそうです。おそらく長銀も同じ途を歩むでしょうから、長信銀を特別扱いする必要もなさそうです。宮澤蔵相も一時は長信銀法の廃止を提案されたようですし・・・さてさて、どうなりますでしょうか。

98.09.25

補足1
 本文中の浜口巌根氏が、昭和4年に首相となり、同5年に狙撃され、同6年に死亡した浜口雄幸氏の子息だという噂がありますが、どなたかご存じですか?

補足2
 これを書いている途中に新しいニュースが入りました。長銀が全額債権放棄をし他の融資行に一律負担を強いて経営再建する予定であった関連ノンバンク3社が、清算されるかも知れないそうです。長銀の関連会社救済に公的資金を使うのは説明が付かない、という野党からの批判に対応するものであるそうです。3社を法的整理した結果、長銀が資金不足になるのは仕方がないとしても、関連会社の責任を1行で被るのはいかがなものか、という野党の主張を野中官房長官が支持する発言をしたのが理由だそうです。清算、つまり法的整理に成りますと出資分はチャラ、無担保の融資分は応分の配当しか帰ってこないことになります。安田信託など一部金融機関は貸出債権の保全処理に動いており、三菱信託や住友信託、農林系統への損失発生も避けられなくなります。全ての膿を吐き出すため、結果として長銀の損失は増えるかも知れませんが・・・まあ公平かも知れませんね。

補足3
 これからは金融機関の情報公開の対象に、子会社保有分を含めて実質子会社化している企業や、頭取を出すなどして実質的に支配している企業が含まれるようになるそうです。広義の連結の対象にもするとか新聞は書いています。早くから実施していれば関連ノンバンクの問題も明るみに出たんですが。

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