この経済の研究でも明確な定義をしてきませんでしたが、機関投資家とは何者でしょうか。大辞林に従えば「収益を上げる目的で、継続的に証券投資を行う法人、その他の団体」となります。具体例として「銀行・保険会社・投資信託・年金基金・共済組合・農業団体など」とあり、近頃話題の私募基金も含まれるでしょう。しかし定義に従えば、継続的な証券投資の結果として収益を上げていなければ機関投資家失格となりますが、この議論は脇に置いておきましょう。
次に世の中で誤解の多い投資を定義してみましょう。「利益を得る目的で、資金を証券や事業に投下すること」となります。似た言葉に投機があります。これは「偶然の利益を狙って行う行為。将来の価格変動を予想して、価格差から生ずる利益を得ることを目的とすること」に成ります。さてさて有価証券の含み損や土地の評価損に喘ぐ我が国の機関投資家は、証券や事業からの配当ではなく、価格変動に期待していたわけですから、正しくは機関投機家と呼ばなくてはいけないでしょう。近頃の欧米の大手金融機関も機関投機家の部類ですね。
投資家は堅実な市場構成員であり善良な参加者であります。彼らに何の責任もなく大きな損失を第三者が与えられた場合は、彼らはその損害賠償を求める権利があり、その権利が行使できない場合は国が救済するべきであるかも知れません。ところが投機家(つまりヤマ師であります)は偶然の事象に自己の判断で賭ける冒険家に過ぎず、彼らが大きな損失を受けたとしても自己の責任で処理しなくてはいけません。処理できなければ市場から退場するのが、健全な市場に働く原理原則です。
ところが我が国には、この原理原則が通用しません。むしろ善良な投資家の権利を奪ってでも、原理原則を守れない投機家達を救済しようとしてます。しかも救済の原資は善良な投資家達が収めている国税であります(政治の研究第042回を参照)。これがマスメディアの主張しているモラルハザード問題でもあります。
我が国では弱小な機関投資家の保護には熱心で、ときには大手機関投資家に負担を強いることもあります。計画は破綻したものの、日本リースへの債権放棄で地銀や農林系金融機関の救済を打ち出したことが恒例です。しかし冷静に考えて下さい。とくに問題視されている農林系金融機関ですが、先の住専問題、長銀問題のほか、経営危機の囁かれる大手流通や大手石油などへの残高も異常に多くはないでしょうか。つまり学習能力がない、という言い方はできないでしょうか。確かに大手銀行に比べれば調査能力が不足しているでしょうが、一投資家としては恥ずべき問題です。自己責任で投資が行えないので有れば、自主運用を放棄して、投資信託なり投資顧問なりに運用を委託するべきでは無いでしょうか。
投資先が破綻するたびに、自己の体力への影響が大きいことを理由に自己が負うべき責務の軽減を求めることは、あまりに身勝手です。その背景には族議員をはじめ政府・与党への期待と甘えが見え隠れしています。さらに投資先が限定されるほど小さい運用資産であるはずが、問題企業の上位融資先ばかりに名を連ねるのはなぜでしょうか。簡単に言えば、大手行が手を引くような不良融資先に対して、高金利に釣られて大口融資を行っていると言うことでしょう。始めから投機を狙っていると言うことです。彼らが短資市場などで積極的に資金提供側に回っていることからも、優良な投資先を持てていないことを示しているでしょう。
山一證券が破綻した際、政府・大蔵省は債務超過でない、と主張を続けました。その結果、取締役以下全従業員には、400億円と言われる規定通りの退職金と、清算作業に従事する全社員の水準給与が支払われました。しかし現実には債務超過でした。退職金はともかくとして、本来はデフォルトされるべき転換社債を全額償還したことが問題でした。その金額は2,000億円を上回り、日銀特融の返済に穴が空きそうな現状では、とんでもない話です。
ところがこれは経営陣の判断よりも大蔵省の判断でした。個人投資家や日銀を泣かしてでも機関投資家を救済するというスタンスであったのです。今回の長銀破綻でも個人投資家には株式含み損を理由に弁済はしない見込みですが、機関投資家の1.1兆円の劣後ローンは全額保護すると発表しました(第070回の補足3を参照)。これには個人株主から多くの抗議の電話があったそうです。ほとんどは株主には出資責任を問いながら、機関投資家には投資責任を問わないこと問題とした抗議だったそうです。
債務超過と認定するのなら、株式の次に返済順位が低い劣後ローンの一部をデフォルトするのは当然です。しかも国有化処理をすれば損失が膨らむ可能性が大きい現状で、早々と保護を打ち出すのも異常な話です。
政府・大蔵省が機関投資家を怖れている理由はいくつかあるでしょう。一つは個人と違って組織力がありますから、訴訟を提起されると隠しておきたい問題が噴出する可能性があります。また様々な局面で機関投資家の手を借りなければ行けない場面がありますが、行政指導などで協力を仰ぐためにも良好な関係を維持したい思惑もあるでしょう。また政治家は献金など金づるを手放したく無いという本音もあるでしょう。
結局は口ばかりで調査能力も判断能力もない機関投資家が、のうのうと生き長らえることになるわけです。その甘さに外国投資家が付け入って日本マネーを食い物にしていますが、ぬるま湯状態にある日本の機関投資家にはまるで危機感がありません(政治の研究第002回を参照)。彼らを救済することは、社会に害毒を生んでいるのです。
98.10.28
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